僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

セフレから脱走した話・セフレとの関係から学んだこと

この記事は、【Tinderで出会ったセフレ候補がセフレに昇格】男友達と性行為してしまったときに抱いた感情についての記事の続きです。過去の記事はこちらからどうぞ。

 

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事件が起きたのは、3回目に会ったときでした。

 

その日、いつも通りWとやりとりをし、またWの家に行く約束をしました。

ただ、もう3回目になってくると性行為もマンネリ化していましたが、今更性的欲求に打ち勝てるはずもなく、私から誘ってしまっていたのでした。

Wは、前の記事でも書いたように、友人に引き続き夜遅くまで連れ回されており、めんどくさい、帰りたいというLINEを送ってきていました。そして、さらに、同僚に告白され、断ったけれど中々諦めてくれないという話もしてきました。

 

私はWの、「断りたいけど、断れない」と言いたげな態度があまり好きになれず、遂に、そんなに断りたいならきちんと友達の遊びの誘いも、同僚の告白も断るべきだと伝えました。

でも、私はそう言いながらも、そんな優しすぎるあまり駄目なところを駄目だと言えないWの危うさを常に心配するようになっていました。

そんな様々な感情に振り回される中で、その3回目は訪れたのです。

 

その日、私はいつも通りWの家に行きました。Wはその日はこれまで以上に口数が少なく、私の話に相槌を打つだけでした。それでも、そろそろするのかな、という雰囲気になったところで、「ワシ、添い寝だけでも良いと思っているんだ」と言ってきました。今思うと単純にWが疲れていたのもあるでしょうし、私が体を重ねるごとに自分の価値が落ちている気がする、という話をその前にしたからだったのかもしれません。でも、当時の私はそうは思えませんでした。そう言われた時点で、私はWに女性として魅力があると毛頭思われていない、きっと捨てられる、もうこの関係も終わりなのだ、と思いました。

私は、また澄ました顔で、「そうなんだ、それでもいいよ」と良いながら、少し泣きそうになっていました。

 

そして電気を消し、Wは、本当に私と添い寝だけするつもりのようでした。Wは完全に寝る体勢に入っており、全く性行為が始まるような様子はありませんでした。

私は、添い寝だけで良いよと言ったことを後悔していました。寝そうになっているWを叩き起こし、「ねえ、本当にしないの?私はしたいな」とかぼそぼそと話し始め、Wをその気にさせようと服を脱いだり、性器に触ったりと、とにかくいろいろ試してみました。そんなことをしているうちに、なぜかWはその気になったらしく、前戯が始まりました。

また同じように挿入に至ることはなく、遅漏のWを無理矢理イかせてとりあえず終わりました。でも、段々回数を重ねるごとにWの気持ちが離れていっているような気がしました。そのことに気づいてしまった私は行為が全て終わった後、Wに背を向けて泣いていました。

いつもそうだったのですが、私はWの家では慣れないからなのか、隣に人がいると落ち着かないからなのか、全く眠れませんでした。

眠れない中、私はWと性行為をしたいけれど、体を重ねるごとに自己肯定感が下がっていってしまうこと、でもWと関係が終わってしまうのは悲しいこと、矛盾している感情が頭の中でぐるぐると回っていました。

散々考えた結果、私は、矛盾した自分自身の感情から、曖昧な関係を続けることをなんとも思っていないWから、曖昧な関係を続けることができそうにない自分自身から、私を取り巻く全てから逃げ出してしまいたいと思ったのです。

 

そう思った私は起き上がり、荷物をまとめました。確か、時刻は深夜3時くらいだったと思います。

帰る支度を整えた後、黙って帰るのは流石にまずいと思い、Wを起こし、「私、帰るね。」と言いました。

Wはほぼ目が開いていないくらい寝ぼけていましたが、なんとか立ち上がり、パンツ一丁の姿で玄関まで送ってくれました。

 

私は、Wが全く引き留めてくれないのを少し悲しく思いながら、Wの家を後にしました。とにかく朝4時だったので、電車の始発までにはまだ時間があり、少し探してみたところ近くには漫画喫茶もなかったため、私は開いていたガストに行き、コーヒーを頼みました。数時間泣きながらそこで携帯をいじって過ごした後、マクドナルドで朝食をすませてそのまま風呂にも入らず会社に行きました。

 

何事もなく出社しましたが、会社の同期から、「昨日と同じ服じゃない?もしかして朝帰り?」と言われ、それとなく否定したのをなんとなくですが覚えています。

 

朝の時点でWから、「何があったの?」とLINEが来ていましたが、全く返信する気が起きず、その日の夕方になってようやく「Wがあの日冷たくて嫌だったから帰ったんだ。」と返信しました。それに対してWは、元々口数が多い方じゃなかったから、悪気はなかった、ごめんと謝ってくれました。

でも、この脱走事件から私達の仲には亀裂が入り始めていました。

 

その事件の後、連絡の頻度は少なくなり、会う頻度も減っていきました。事件の後は1回会っただけで、その後はLINEのやり取りだけになっていきました。

 

LINEのやりとりになってから、私はWと関係が破綻したことを悲しみ、寝込んでいました。でも、連絡の頻度が少なくなってから次第にWのことを考えることも少なくなっていき、、私はTinderで別の彼氏ができたのです。彼氏がいる状態でWの家に行くことがあってはいけないと思い、Wに「もう今後家に行くことはできないけれど、友達だと思っているからLINEのやり取りができなくなるのは悲しいし、居酒屋くらいならまた一緒に行ってほしい」と伝えました。するとWは、数日経ってから、困ったことがあれば聞くし、居酒屋も誘ってくれれば行くよ、と返してきました。

 

でも、Tinderで出会った彼氏とも、新入社員として入社した会社でも私はうまくいっていませんでした。

辛いことがある度にいつもWに連絡をしていました。Wに、私の日常の愚痴を聞いてもらっていました。そしてTinderで出会った彼氏と別れ、記事にもしているSさんに出会って付き合ったけれど、別れたことも聞いてもらっていました。

Sさんの話はこちらからどうぞ。

 

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 Sさんと別れてから私は忙しなく出会いを求めてマッチングアプリで出会ったり、合コンに行ったりと、刺激の多い毎日を過ごす反面、自分に負荷がかかり続けていました。そんなときにはいつもWに連絡をし、愚痴を聞いてもらっていました。

 

私はこの記事を書くまでWが話を聞いていてくれたことをすっかり忘れてしまっていたのですが、Wも、1と同様私自身を受け止めてくれていた人たちの一人であったのです。

 

私は、Wの「すべて受け入れる度量のあるところ」が好きでした。Wは、私が様々な愚痴をこぼしまくった後、そんな自分に自己嫌悪してしまうことを私が話すと、「そういう経験を通して、みんな深みのある人間になっていくんだよ。」と言ってくれたのを今でも覚えています。

 

つまり、悩みも、苦しみも、怒りも感じることは間違っていることではないし、いつかその感情にも終わりがくる。ネガティブな感情も自分自身の成長には必要不可欠であるということです。

 

Wは、愚痴ばかり言う私を一切責めることはなく、寧ろ受け入れてくれていたことに当時も今も、とても感謝しています。

 

 

このWの言葉は、私の価値観に大きな影響を与えているような気がします。日常で感じる怒り、悩み、苦しみについて話すことは、世間一般で言えば愚痴を吐くことだし、あまり歓迎されるべきものではないのかもしれません。

でも、自分が、どう苦しく、どんなことに悩み、どういった価値観に基づいて怒りを感じているのか、言葉にして表現することは私は絶対に必要だと思います。言葉にして初めて客観的に自分を見つめられるようになり、それを踏まえて自分自身が今後、どうやって生きていきたいのか、考え、行動するきっかけになっていくに違いありません。自分の考えを正しく理解し、行動していくことは確かに自身の成長に必要不可欠だと思います。

 

また、仕事で失敗してしまった話をしたときも、「お前は何も悪いことしてないんだから、堂々としろ」と言ってくれていたのも印象的でした。

社会人1年目の私は、失敗ばかりで、いろんな人に迷惑をかけてしまい、申し訳ないという気持ちが言動にも表れていつもおどおどしていました。

確かに、わざと失敗した訳ではないし、十分に反省していたので、ものすごく悪いことをしていたわけではありませんでした。失敗した後堂々とすることは、気が小さい私にとって今でも難しいことなのですが、「堂々としてもいいんだ」と失敗した自分を認め、受け入れてあげることなら昔よりもできているような気がします。

 

確かに考えてみると、私は仕事でも、婚活でも、昔より失敗に寛容になったように思います。昔は少しのミスも許せず、ミスする度自分の人格を否定し、ミスをしてはいけないと自分をがんじがらめにして苦しんでいました。

でも、Wの話を聞いて、少しずつ失敗した自分を受け入れ、認めることができるようになったのかもしれません。

そして最後に、元カレIさんとつき合っていたとき、私はIさんと性行為をしても絶頂に達することがなく、とても不満に思っていました。でも、Wとセフレになって、性的欲求は十分に満たされていたのにも関わらず、どこか満たされない気持ちになっていました。きっと、私は性的欲求を解消するよりも、精神的なつながりを求めていたのでしょう。ここまでは、Iさんと別れた後、自分自身で気づけたことです。

 

それを踏まえて今回分かったことは、Wの与えてくれた精神的なつながり、すなわち「全てをありのまま受け入れる」姿勢は、私とは100%合っていた訳ではなかったということです。全てを受け入れる、ということは、悪いことも、ありのまま受け入れ、認めてしまうような危うさを含んでいると思います。でも、恋人、本当に仲の良い友人達には、「私が道を踏み外しそうになったらそれとなく止めてくれる人」であってほしいと思ってしまうのです。私は、仲の良い友人が、犯罪行為に手を染めようとしていたら、自分のことのように心が痛むでしょうし、どうかやめてほしい、と思ってしまいます。私は、良い意味で他人と自分の境界線があやふやになってしまうことは他人を愛していることに他ならないのだと思っています。それに対してWは、もし、自分が私の立場であったら、と想像し、共感する力が欠けていたから、私との関係に亀裂が入ってしまったのかもしれないと思っています。

 

良いことも、悪いこともあったけれど、私にとって短い期間でもセフレがいたという事実は、今となっては良い思い出です。Wが幸せに生きていってくれているといいな、と心から思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。