僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

だから私は友達が少ない

私は今、何を求めているのだろう。

一緒に小さな机を囲んで食べるご飯。
うまく焼けなかったお肉さえ、一緒に食べれば美味しく感じた。
二ヶ月前まで知らなかった人と、食卓を囲んでいるなんて不思議すぎる。

最近、不思議となにかがしたいとか、どうなりたいとか、なにもやりたいことが浮かんでこなくなった。
ずっとそのことに悩んでいた。

悩みすぎて、今は悟りの境地に到達した。

まあ浮かばないこともあるか。

やりたいことがある人生が幸せだなんて、いったい誰が決めたのだか。

数日前、私は不安になっていた。
そのときは不安の正体は分からないかった。

でも最近になってやっとその正体がはっきりした。
しゅうたの人生と自分の人生を比べて、劣等感を感じていただけだった。

しゅうたには大好きなゲームという趣味があったし、彼の家には友人からの誕生日プレゼントがいくつか置いてあった。いつも携帯にラインが来ていたし、彼自身も「今友達がグループトークでLINE電話してる」と話していることもある。趣味はゲームだけでなく、ダーツもするらしい。

対して私には、何があるんだろう。確かに友人はいる。趣味も、一応韓国ドラマという名ばかりの趣味はある。あとは、入れてよいのであればブログを書くことだろうか。というのも、最近仕事に身が入らないし、韓国ドラマもこれといって見たいものが見つからない。彼氏探しも終わってしまったし、なんとなく新しい趣味が欲しい気分である。

なぜかいろんな人に会いたい気分だ。人見知りな私がこんなことを思うなんて珍しい。彼に感化されているのだろうか。ただ、世間一般ではコロナがまた流行し始め、人が会いづらい状態だ。それに、以前マッチングアプリアムウェイに騙されそうになった経験もある。オールラウンドサークルや、あまりはっきりした目的のない団体の集まりに行くのは気が引けてしまう。コロナ前にホットヨガに通っていたこともあるが、30代の女性が多く、年齢の壁を感じてしまって他の人に声をかける勇気などなかった。それに他の人も仕事終わりで来ているし、何より運動しに来ているのだ。なにも他の人とコミュニケーションをとることが目的でここに来ているわけでもない。

そうだ。職場の元同期や、大学時代の唯一の友人はどうしているだろう。気にはなるし、私とは違う価値観の持ち主であるから刺激はある。でもどうしてか気が向かない。さすがにあそこまで自分と価値観が違うと、合わせるのに今は疲れてしまいそうだ。以前は会社、学校があり、お互いに助け合わなければならない関係だったからこそ仲が続いていたような気さえしてしまう。でもなんだかんだで向こうから連絡をくれているので、向こうはさして気にしていないのかもしれない。

なんというか、彼女たちは社会的な肩書きや、お金を私より大事にしている感じがしてしまう。価値観は人それぞれだし、悪いという訳ではない。ただ必要以上人と比べてしまう自分の気にしいな部分が、彼女たちと合わないかもしれない。

このことを書いているとSさんを思い出す。彼とは夏にLINEで話しただけだ。
彼は久しぶりに元カノと自分の人生が昔と比べてどのくらいよくなったかを一緒に話し合い、有意義な時間を過ごしたと言っていた。
彼が話したいと言っているのは、仕事とか、恋愛とか、目に見える成功のように思えてしまった。
どのくらいよくなったかのアピール大会など、自己肯定感の低い私には到底向かないだろう。そしておそらく、上記の友人たちもそういう話をしてくるような気がしてしまう。

自分の自己肯定感を下げる相手とは会いたくなくて、優しくしてくれる人とだけ一緒に居たいだなんて、なんて私は我が儘な人間なのだろう。これだから私は友達が少ないのだ。


最近会っているのは専ら高校時代の友人か、ブログを通じて知り合った友人、そしてしゅうたばかりである。個人的にいつものメンバーだと思っている彼らは、職場の元同期や大学時代の友人よりなんだかんだで居心地が良いから、いつもここに戻ってきてしまう。

なにか計画をたてるわけでもなく、ふらりと訪れて少し話せるような場所があったら面白いなあ、と最近思う。

こんなことを書いているのに、いきなり知らない人と話そうと思う私は、なんて矛盾している人間なのだろうか。