僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

いつだって幸せ探しでなく、足りないところ探しをしてしまうのはどうしてなんだろう

私は、足りないところ探しが得意だ。

昔からそうだ。自分の劣っている部分を見つけては苦しみ続けている。

勉強。運動。仕事。家事。

私はどこをとっても平均的だ。

現状に満足してはいけない。そう思ってしまう癖はどうやったって治らない。

この部分こそが、私の心にぽっかり空いた、自分ではどうにも埋めることのない部分なのだと思う。

言わせたといっても過言ではないが、「ももちゃんに足りないところはない」彼は確かにそう言った。


私のままでいて良い。
そう思えただけで、しばらくの間、安堵していた。

これで、問題は解決したと思っていた。

でも、今日また何かに気づいてしまったみたいだ。

年明け、しゅうたからなにも連絡がない。来週の日曜日、挿入までしようと約束した。

その後からなにも連絡がない。

こういう風に、私への興味は日々薄れていってしまうのだろうか。

どうして、私は彼のようにきちんとした趣味がないのだろう。いつから、一人で過ごすのが苦手になってしまったのだろう。

今までの元カノは連絡が億劫になって別れた、と言っていた。

今の私みたいな気持ちだろうか。

人を変えることはできない。いつだって私が変わるしかない。そんなこと、分かってる。痛いほど、よく分かっている。

でも分かっているのと、行動に移すことができるのは違う。

一人で食べるご飯より、二人で食べるご飯が美味しかった。一人でいるのがこんなにつまらなく感じる日が来るなんて思わなかった。

こんな日は、何をして過ごすのが正解なのだろう。

分かるのは、こんな風に泣いて過ごす必要はないということだけだろうか。

本当は、会う頻度を増やしてほしい。でも向こうは多くても週一回が良いと言っていた。

ここは、私が、変わるべきだろう。

しゅうたが現れなかったら、私はどうしていただろう。

今まで仕事と恋活しかしてこなかったのだ。冷静に考えたら今更1人で楽しく過ごす方法など分かるはずもない。

運よく恋活に成功したが、一つだけ後悔がある。

恋活中、あんなに泣かず、悩まずに笑顔で過ごせばよかった。
楽しく過ごしてはいけない理由などなかった。ずっと泣く必要もなかった。

昔、精神科の先生が言っていたのと同じだ。ただ運が悪かっただけだった。
うまくいかなくて泣いていた自分を思い出すと、なんとも悲しい気持ちになる。

それと同じだ。きっと、未来の自分が今泣いている自分を見たら、きっと悲しむだ
ろう。

そんなに悩んで考えなくても大丈夫だから、今この瞬間の自分を大事にしてほしい。

今この瞬間の幸福を追い求めたって良いんだ。

泣くよりも、したいことがあるだろう。楽しいことを考えたって良いだろう。

一人旅に出たって良いだろう。

行きたいところはなかっただろうか。
今の私は、家にいない方が良さそうだ。

ただ、そう思う。