自分を追い求め続ければ、答えは手に入るのだろうか
彼氏探しをしているけれど、一向に結果がでない。
最近、withでマッチする度「このアプリ使ってどのくらいなんですか?」とよく聞かれる。
3年目ですと素直に言うわけにもいかず、曖昧に受け流すか、返信を返さなくなっていた。
Sさんと別れてから、様々なことを考え、マッチングアプリを続けてきた。友人と話すときも、いつも恋活の話をしていた。
それなのに、ずっと、結果がでない。
私は、昔Sさんに言われたように、本当に生産性のない人間なのだろうか。
出会っても出会っても上手くいかない。
それなら、なにもしないほうがましなのではないか。
でもそれは、自分の起こした行動をまるっきり否定する行為に他ならない。
本当に、そうだろうか。
最近、蔦屋書店で見たこちらの本を読んでいる。
13歳からのアート思考。
アートに関する本なのだが、胸を打たれた一節があった。
「アート」というのは、このタンポポに似ています。そこで、アートを植物に例えてみます。
この植物が養分にするには、自分自身の興味や、個人的な好奇心、疑問です。アートという植物はこの「興味のタネ」からすべてがはじまります。
この植物を育てることに一生を費やす人こそが「真のアーティスト」なのです。とはいえアーティストには、花を咲かせることには、そんなに興味を持っていません。・・・アートという植物にとって、花は単なる結果でしかないことを知っているからです。
花は単なる結果でしかない。
単なる結果。たった一言なのに、言葉にされると衝撃的だ。
社会には、結果をだそうと躍起になっている大人がたくさんいるのだから、驚きを隠せない。
かくいう私もそうだ。マッチングアプリで出会うとき、仕事をするとき、いつも過程を蔑ろにし、結果ばかり追い求めていた自分に気がついた。
Sさんは、結果を求める人だった。中でも、目に見える結果を求めていた。そんなSさんが好きだった。いつしか私の考えはSさんに似てしまったようだ。知らない間に他人と自分の境界線がなくなってしまっていたのかもしれない。
でも、Sさんがいつも正しいとは限らないのだ。
Sさんが重視していた「目に見える結果」は、さして重要なものではなかったのかもしれない。
さらに、興味のタネの説明の中に、「探求の根」についての説明も書いてあった。
この「興味のタネ」からは無数の根が生えています。・・・これが「探究の根」です。
人には、目には見えない部分が多数ある。他人に対してそう思うこともある。でも自分自身にもそう思うことがある。人と話すとき、本を読むとき、どこか出かけたとき。何かを感じているのだけど、自分が何を感じているのか分からない。何を、どう感じているのか言葉になっていかないために自分自身が理解できない。
曖昧すぎるあまり言葉、表現になっていかないことなんて、日常茶飯事だ。
でも、それでも自分と向き合い続ける。
言葉で表現できない細かい部分にまで目を向け、自分を追い求める。
結果なんて出なくたって、それだけで十分なのかもしれない。
マッチングアプリで彼氏探しをする。
探すにあたって、出会った人を知っていかなければならない。
その人がどんな人かを理解し、決断を下さなければならない。
でも、他人を理解するのは、きっとそんな簡単な話ではないのだ。
タイミングが合わず伝えられなかった言葉。好きな人にしか見られたくない部分。うちとけなければ見せられない素顔。初対面で表に出ていない部分に目を向けるのは簡単なことではないだろう。
私は、自分が想像していたよりも難しい問題に毎日立ち向かっている。
今日はとりあえず、それに気づけただけで良しとしようか。
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要領が悪いと思ってる人。疲れてしまった人へ。
— ももこ (@hjkt0402) 2021年10月12日
寝る前に見て癒されていただけだら嬉しいです! pic.twitter.com/pEUiPmxXYq
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