僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

だから私は友達が少ない

私は今、何を求めているのだろう。

一緒に小さな机を囲んで食べるご飯。
うまく焼けなかったお肉さえ、一緒に食べれば美味しく感じた。
二ヶ月前まで知らなかった人と、食卓を囲んでいるなんて不思議すぎる。

最近、不思議となにかがしたいとか、どうなりたいとか、なにもやりたいことが浮かんでこなくなった。
ずっとそのことに悩んでいた。

悩みすぎて、今は悟りの境地に到達した。

まあ浮かばないこともあるか。

やりたいことがある人生が幸せだなんて、いったい誰が決めたのだか。

数日前、私は不安になっていた。
そのときは不安の正体は分からないかった。

でも最近になってやっとその正体がはっきりした。
しゅうたの人生と自分の人生を比べて、劣等感を感じていただけだった。

しゅうたには大好きなゲームという趣味があったし、彼の家には友人からの誕生日プレゼントがいくつか置いてあった。いつも携帯にラインが来ていたし、彼自身も「今友達がグループトークでLINE電話してる」と話していることもある。趣味はゲームだけでなく、ダーツもするらしい。

対して私には、何があるんだろう。確かに友人はいる。趣味も、一応韓国ドラマという名ばかりの趣味はある。あとは、入れてよいのであればブログを書くことだろうか。というのも、最近仕事に身が入らないし、韓国ドラマもこれといって見たいものが見つからない。彼氏探しも終わってしまったし、なんとなく新しい趣味が欲しい気分である。

なぜかいろんな人に会いたい気分だ。人見知りな私がこんなことを思うなんて珍しい。彼に感化されているのだろうか。ただ、世間一般ではコロナがまた流行し始め、人が会いづらい状態だ。それに、以前マッチングアプリアムウェイに騙されそうになった経験もある。オールラウンドサークルや、あまりはっきりした目的のない団体の集まりに行くのは気が引けてしまう。コロナ前にホットヨガに通っていたこともあるが、30代の女性が多く、年齢の壁を感じてしまって他の人に声をかける勇気などなかった。それに他の人も仕事終わりで来ているし、何より運動しに来ているのだ。なにも他の人とコミュニケーションをとることが目的でここに来ているわけでもない。

そうだ。職場の元同期や、大学時代の唯一の友人はどうしているだろう。気にはなるし、私とは違う価値観の持ち主であるから刺激はある。でもどうしてか気が向かない。さすがにあそこまで自分と価値観が違うと、合わせるのに今は疲れてしまいそうだ。以前は会社、学校があり、お互いに助け合わなければならない関係だったからこそ仲が続いていたような気さえしてしまう。でもなんだかんだで向こうから連絡をくれているので、向こうはさして気にしていないのかもしれない。

なんというか、彼女たちは社会的な肩書きや、お金を私より大事にしている感じがしてしまう。価値観は人それぞれだし、悪いという訳ではない。ただ必要以上人と比べてしまう自分の気にしいな部分が、彼女たちと合わないかもしれない。

このことを書いているとSさんを思い出す。彼とは夏にLINEで話しただけだ。
彼は久しぶりに元カノと自分の人生が昔と比べてどのくらいよくなったかを一緒に話し合い、有意義な時間を過ごしたと言っていた。
彼が話したいと言っているのは、仕事とか、恋愛とか、目に見える成功のように思えてしまった。
どのくらいよくなったかのアピール大会など、自己肯定感の低い私には到底向かないだろう。そしておそらく、上記の友人たちもそういう話をしてくるような気がしてしまう。

自分の自己肯定感を下げる相手とは会いたくなくて、優しくしてくれる人とだけ一緒に居たいだなんて、なんて私は我が儘な人間なのだろう。これだから私は友達が少ないのだ。


最近会っているのは専ら高校時代の友人か、ブログを通じて知り合った友人、そしてしゅうたばかりである。個人的にいつものメンバーだと思っている彼らは、職場の元同期や大学時代の友人よりなんだかんだで居心地が良いから、いつもここに戻ってきてしまう。

なにか計画をたてるわけでもなく、ふらりと訪れて少し話せるような場所があったら面白いなあ、と最近思う。

こんなことを書いているのに、いきなり知らない人と話そうと思う私は、なんて矛盾している人間なのだろうか。

【30の反撃】悩むアラサー女に寄り添ってくれる本を紹介してみる

反撃がうまくいかなくても、こころざしの一つくらいはもって生きるべきなのではないか

本当に、その通りだと思う。

アラサーになった。私と同年代の人たちはきっと社会人としてそれなりに経験を積み、昇級しているか、もしくは転職して新しい職場で頑張っているだろう。

会社。学生しか知らなかった今の自分にほんの少しばかり社会の厳しさを教えてくれた場所であり、私のこの4年間の、大半の時間を過ごした場所である。

働いている人は誰もが経験しているだろう。頑張っても頑張ってもなかなか認められない悔しさと、新しい集団に所属しなければならないというストレス、そしてそのストレスに対してとても見合っているとは思えない給料。

だからこそ、好きなことを仕事にしている人が輝かしく見えるのだ。
好きなことを仕事にしている彼らは、自分の希少性に価値を見いだし、私たちに自分には到底叶えられるとは思えないような夢を見せてくれる。

そんな社会を少し経験し、その不条理さともっとおもしろいことがしたいと願う若者に向けて、ソン・ウォンピョンが書いた新作「30の反撃」の書評を今日は書いていきたい。

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ソン・ウォンピョンは、2020年本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞した「アーモンド」を書いた作家である。

結局、平凡な会社員でいることは、一番現実的な道である。さらに、社会というあまりにも大きな存在に対して、私たち一個人が「反撃」という形で抗い、社会そのもの変えることができる可能性は限りなく低い。
そんななかでも、こころざしをもって生きていってはどうか。作者の言いたいことはこういうことであろう。

ひとまずあらすじを紹介しようと思う。

主人公であるキム・ジへは30歳の女性である。ジへはディアマン・アカデミーという大企業の傘下であるスクールのインターンとして働いている。ここは、ウクレレ、人文学などの教養講座を主に社会人、子どもに対して開いているスクールである。ジへは映画や、ショッピングモールなどを手掛けるディアマングループの親会社に入り、自分が企画したイベントを開くのを夢見ている女性である。ディアマン・アカデミーで経験を積み、ディアマングループの他の会社に異動するためインターンで働いているのだ。

そして一緒に働くことになったインターンのギュオクと出会ってから、彼女の平凡であった日々が変わっていく。

ギュオクは大学時代にアルバイトで書いた論文を大学の教授に盗まれた経験から、狡猾で裕福な人間がお金を以てして成功する社会に反感を抱いている男性である。

ギュオクと会ってから、ジへはひょんなきっかけからディアマン・アカデミーでギュオクと一緒にウクレレ講座を受けることになり、そこで作家志望のムインと、ネットでモッパンを配信するナムンおじさんと出会う。

ギュオク、ムイン、ナムンおじさんの三人は、全員が自分の創作物を大企業や、裕福な人間に盗まれた過去があった。創作物とはギュオクは大学時代の論文、ムインは自分で書いた脚本、ナムンおじさんは自分で編み出した料理のレシピである。

仲が深まり、ジへを含めた彼らは自分の作品を盗んだ人物へいたずらのような仕返しをするようになる。

ジへとギュオクもお互い両想いなので恋愛ものでもあるといえよう。

この先どうなるかは、ぜひ手にとって確認してほしい。

小説の中に、こんな一説があった。

すべからく人は、適当に仕事をするべきだ。正確にいえば、分相応に。与えられた時間と給料に見合ったぶんだけ。…そうすればいたずらに利用されたり、当たり前のように搾取されることもなく、適当にやることだけやって抜け出すことができる。

本当に、共感してしまう。どんなに頑張っても、すべての頑張りが認められる訳ではない。認められない、認知されない、目に見えない頑張りばかりだ。ジへはインターンで講師の講義資料をコピーしたり、講義の際の椅子を整えたりと、なんだか事務職のような、私と似たような仕事をしているから、共感してしまうのだろうか。

面白味の感じない仕事など、自分が嫌な仕事など、やらないほうが良いに決まっている。自分の限りある人生の一ページを、嫌なことで一杯にするなんて、確かに搾取だと思う気持ちもわからなくはない。

冒頭に書いたソン・ウォンピョンの「反撃がうまくいかなくても、こころざしはもっていきるべきだろう」という言葉は、矛盾しているかもしれない。

社会を思うように変えることなどできないのに、気持ちだけ持っていても無駄だと思う人もいるだろう。そのことは作中も触れられている。

きちんとした職について貯金をし、現実的に生きるべきだと言うジへの弟と、社会にインパクトを与えるべきだと言うギュオク、両者の主張をジへは「正反対の命題」と表現し、「ただ二つの概念に共通点があるとすれば、どちらも向き合うのは辛いということだった」と書いている。

いつだって現実と向き合うのはつらいのだ。それも、自分の不安が明確になっていないときほど、解決に時間がかかるものだ。この問題はいつ解決するのだろう、もしかしたら一生続くのかもしれない。この問題に向き合い続けるのは心に大きな負担がかかると思う。しかし、アラサーの誰しもが同じ悩みを抱えているのではないかとも思う。

 さらに作中ではジへの結婚し、子どもを育てる専業主婦になった友人、ダビンと話すシーンがあった。ダビンは「一人の時間があるジへが羨ましい」言ったことに対し、

いいなという言葉は、むやみに使うものではない。あんたは子どもがいて、お金を稼いでくれる夫もいるじゃない。自分のことだけを考える時間がどれだけつらいか、寂しくて怖いか知っているの?

と心のなかで呟く。そう。自由に遊んでいる分には一人は楽しい。でも、夢ばかりは見ていられないのだ。ふとした瞬間、不安が押し寄せてくる。自分は、これからどうなってしまうのだろう、と。

そんな不安に寄り添うように、この小説の最後はこの文章で締め括られている。

私が宇宙の中の塵であっても、その塵がどこかに着地する瞬間、光を発する虹になることもあると、ときどき考えてみる。そう考えれば、あえて私が特別だと、ほかの人とは違うと、力を込めて叫ばなくても、私は世界で一つだけの存在になる。そう思うようになるまでかなり長い時間と努力が必要だったが、少しばかばかしいどんでん返しがある。そんなに頑張らなくても、そもそもそれはいつだって事実だったということだ。

塵がどこかに着地する瞬間、光を発する虹になる。いや、どこにも着地しなくても、自分の存在それ自体が、きらきら輝く虹なのだ。社会に亀裂を入れられなくても、憧れの職業につけなくても、貧乏でも、半地下に住んでいるとしても。

【R18】挿入できない女が潤滑ゼリーと媚薬を使ってみた結果…!

国語、数学、理科、社会、英語。

学生時代、必要なのはこの科目だけだろうと思っていた。

しかし、今日の私に必要なのは保健・体育の知識だったようだ。

昨日まで学生だった私はいつの間にか会社員になり、26歳アラサーになっていた。
加えてなんとか彼氏をゲットした私には、次なる障害が待ち受けていた。

人は贅沢な問題だというが私にとっては一生ついて回る、大事な問題。
いや、重大な欠点があった。

私はセックスができなかった。前戲まではできるが、挿入が怖い

過去記事にも書いたが、大学4年の頃に、処女を捨てている。
問題はその後だ。せっかく彼氏ができても交際期間が短く、その後は前戲までしかしていなかった。

しかしいざ膣に指をいれるとあまりにも痛く、途中で行為を断念していた。
というのも良い雰囲気で私があまりにも「あーッ!!痛い痛い痛い!!」とのたうち回るので彼も萎えてしまい、毎回その場で終了。

それをもう、何度繰り返したことか。いつしかしゅうたはおろか、私の方がフラストレーションを感じていた。

何も急ぐ必要はないと分かっている。なぜなら私たちは交際を始めてまだ2ヶ月しか経過していない。でもこの問題をこれ以上そのままにしておくのは気が引けてしまっていた。結構気にしいなのだ。

ということで、お得意のAmazonで潤滑油と媚薬を購入した。
潤滑ゼリーは挿入への恐怖を和らげてくれたし、媚薬は飲むだけで簡単に興奮することができた。どちらも初心者に自信をもっておすすめできるアイテムだと感じたので、紹介していきたい。


まずは潤滑ゼリー。

リューブゼリー。Amazonベストセラー商品である。691円で購入した。

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パッケージはこんな感じ。

中はチューブ型になっている。

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手に取ってみるとこんな感じ。

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ご覧の通り、少しとろみのある液体が入っている。

これを女性器周り、そして挿入する男性器、もしくはバイブなどに塗って使用する。

使用してから、身体的にはもちろん、精神的にも楽になった

数年前処女を捨てたときにはこんな画期的な道具は知らなかった。
挿入する恐怖と、挿入できないなんて彼女として半人前なのではないか、今度こそ入れなければというプレッシャーに押し潰されそうになっていた。

これではいけない、頑張らなければ。
コンドーム以外はなにも使わず、気持ちだけで乗り切った。
そのときはそれで良かったと思っていた。成功して満足していた。

でもその行為から数年後、どうしてか残されたのは幸せな記憶よりも挿入への恐怖だった。今思えば痛みよりもその恐怖のせいで入らなかったのだと思う。

使用する前は女性器を指で触られるのも痛くて耐えられなかったのに、これを塗ると「今日濡れてないから痛いかもしれない」という不安が吹き飛んでいった。これまでのが嘘のようにあっさり指2本の挿入に成功した。

指がきちんと入ってからは「ここまで入ったのだから挿入までできるかもしれない」という自信が生まれた。また「きちんと塗ったのだから塗っていないよりは痛くないはずだ」という安心感と余裕も生まれた。

それでも使用し始めた日は男性器の挿入までできなかった。しかし先日、とうとう挿入に成功した。挿入が怖い人、初めての人、もしくは久しぶりに挿入する人は精神的な恐怖が少なくなるので是非使用してみてほしい。ただ、時間が経つとどうしても渇いてくるので塗ったらすぐに挿入すること、乾いたら追加して塗ることをおすすめする

さらに、入念な私はこちらも準備していた。

天使の涙。いわゆる媚薬である。こちらは3,980円。

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中はスポイトになっており、写真にも記載がある通りコーヒーに4滴程度垂らして使用する。初めて使用した際はあまり効果を感じなかったので8滴ほど垂らしてみると、効果が出始めた。

最初は、試しに一人で使用してみた。
飲むと体が熱くなり、足に力が入りづらくなる。
ふらふらしながらベッドに座り、バイブでクリをいじってみると足ががくがくしてくる。立っていられないほどの快楽に溺れている自分に気づいてまた興奮する。だんだん弱い刺激ではもの足りなくなってバイブのプラスボタンに指が伸びる。指が伸びた自分に興奮し、わざと少しじらす。じらして耐えきれなくなった自分でまた興奮しながら強度を上げ、また強度を上げてしまったことに背徳感を感じて興奮する。いつのまにかバイブをクリにぐりぐり押しつけている自分にまた興奮し、もう何も考えられなくなった辺りで果てる。

媚薬を使用した後は、下着から糸を引くほど濡れる。
使用していないときはこんなに濡れないし、足に力が入らなくなったりはしない。

もちろん相手との行為の際も大いに盛り上がった。
足ががくがくしているのにベッドに行かせてもらえず、無理矢理男性器をなめさせられるプレイに興奮しない女性などいないだろう。

高かったが、まあ楽しいので良しとしよう。
ただ効き目には個人差があるところだけ注意してほしい。

この2点は、セックスの経験が少ない私でも使いこなすことができた。

ゼリーは塗るだけで女性のセックス時のストレスが軽減されるし、媚薬も飲むだけなので何も難しいことなどない。潤滑ゼリーは1,000円もしないので、悩んでいる人は騙されたと思って買ってみてほしい。1,000円でこんなにデリケートな問題が解決するのであれば安いはずだ。媚薬も高かったが、変に高いおもちゃを購入して使いこなせないよりは良いと思う。

他にもウーマナイザーやバイブなども購入したが、個人的に一番満足度が高かったものは、潤滑ゼリーである。
精神的にも身体的にも楽になったし、指から男性器の挿入へと駒を進めることができた。

ちなみにこちらの潤滑ゼリーも購入したが、使用感はあまりどちらも変わらなかったので、価格の安いリューブゼリーで十分かと個人的には思う。下記はパッケージがおしゃれくらいの気持ちだ。

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最終的に、初心者は初心者向けのものを買うのが一番良いという結論に落ち着いた

性行為の挿入にお悩みの方は、ぜひ潤滑ゼリーを購入してみてほしい。さらにお財布に余裕のある方は媚薬も試してほしい。セックスが盛り上がること間違いなしだ。

いつだって幸せ探しでなく、足りないところ探しをしてしまうのはどうしてなんだろう

私は、足りないところ探しが得意だ。

昔からそうだ。自分の劣っている部分を見つけては苦しみ続けている。

勉強。運動。仕事。家事。

私はどこをとっても平均的だ。

現状に満足してはいけない。そう思ってしまう癖はどうやったって治らない。

この部分こそが、私の心にぽっかり空いた、自分ではどうにも埋めることのない部分なのだと思う。

言わせたといっても過言ではないが、「ももちゃんに足りないところはない」彼は確かにそう言った。


私のままでいて良い。
そう思えただけで、しばらくの間、安堵していた。

これで、問題は解決したと思っていた。

でも、今日また何かに気づいてしまったみたいだ。

年明け、しゅうたからなにも連絡がない。来週の日曜日、挿入までしようと約束した。

その後からなにも連絡がない。

こういう風に、私への興味は日々薄れていってしまうのだろうか。

どうして、私は彼のようにきちんとした趣味がないのだろう。いつから、一人で過ごすのが苦手になってしまったのだろう。

今までの元カノは連絡が億劫になって別れた、と言っていた。

今の私みたいな気持ちだろうか。

人を変えることはできない。いつだって私が変わるしかない。そんなこと、分かってる。痛いほど、よく分かっている。

でも分かっているのと、行動に移すことができるのは違う。

一人で食べるご飯より、二人で食べるご飯が美味しかった。一人でいるのがこんなにつまらなく感じる日が来るなんて思わなかった。

こんな日は、何をして過ごすのが正解なのだろう。

分かるのは、こんな風に泣いて過ごす必要はないということだけだろうか。

本当は、会う頻度を増やしてほしい。でも向こうは多くても週一回が良いと言っていた。

ここは、私が、変わるべきだろう。

しゅうたが現れなかったら、私はどうしていただろう。

今まで仕事と恋活しかしてこなかったのだ。冷静に考えたら今更1人で楽しく過ごす方法など分かるはずもない。

運よく恋活に成功したが、一つだけ後悔がある。

恋活中、あんなに泣かず、悩まずに笑顔で過ごせばよかった。
楽しく過ごしてはいけない理由などなかった。ずっと泣く必要もなかった。

昔、精神科の先生が言っていたのと同じだ。ただ運が悪かっただけだった。
うまくいかなくて泣いていた自分を思い出すと、なんとも悲しい気持ちになる。

それと同じだ。きっと、未来の自分が今泣いている自分を見たら、きっと悲しむだ
ろう。

そんなに悩んで考えなくても大丈夫だから、今この瞬間の自分を大事にしてほしい。

今この瞬間の幸福を追い求めたって良いんだ。

泣くよりも、したいことがあるだろう。楽しいことを考えたって良いだろう。

一人旅に出たって良いだろう。

行きたいところはなかっただろうか。
今の私は、家にいない方が良さそうだ。

ただ、そう思う。

はなしあい

もう限界だった。

会えば服装や、新大久保があまり好きでないというし、必ず家事の能力を伺ってくる。
しまいには年収にまで口を出し始めた。


年収の話を聞いたあとは、毎日泣いていた。

朝目が覚めて、自分の年収の額に絶望しては泣き、仕事から夜帰ってきてはパニックになりながら転職サイトを見た。

外資系の企業に勤めれば年収があがるかもしれない、いや、弁護士とかを目指すべき?と思い、がむしゃらに年収アップの方法を調べてはその道のりの険しさに絶望していた。

泣きすぎて腫れた目を見て、会社の人が怪訝そうに私を見ていたが、憔悴しきった私にそんなことを気にする余裕などない。

あまりにも年収の話が頭から離れないので、友人に電話で話を聞いてもらった。
友人は、私の話に耳を傾け共感してくれたあと、「ちゃんと話し合った方が良い」と言っていたのだった。

頭ではそうするしかないと思っていた。でも聞くことで別れなければいけないかもしれないのだ。聞くのすら怖い。


友人にそう打ち明けると、「それで別れるならクズ男だから別れて正解だと思う」とサバサバした意見をくれた。
自分に言われてもどうしようもないと切り捨てないのが友人の優しさだとも言える。

電話でそんなことを話していると、しゅうたからLINEが来ていた。

明日一緒にご飯をたべよう。

食事の誘いだった。

本当は次に会うのは年明けの予定だった。

運良く年内に誘いが来たので、明日話し合えば年末年始に引きずることもないだろう。
またとないチャンスだ。

そう思った私はさっそくしゅうたと新宿で会う約束を取り付けたのだった。

12月28日。年末の新宿駅東口はナンパや、怪しいキャッチがうろうろしていた。
なんとかしゅうたと落ち合った。

この日は西口のパスタ屋、「景虎」へ向かった。

麺好きの彼は喜んでいた。

ただ、彼は年末急遽出勤になり、この日は少しイライラしていたようだ。
トラブルになったが、うまく対処できずあげくに出勤になったらしい。

今日は話し合いは無理そうだ、やっぱり年明けにしよう。

そう思いながらパスタを胃の中に流し込んだ。

「ストレス溜まったからこの後カラオケ行こう」と誘われた。
いつも遊びに誘うのは彼の方だ。

カラオケ嫌いな私はいやいやついていったが、最終的にお酒を飲んではしゃぎまくり、彼より楽しんでいた。

楽しくなってしまった私は、最終的にしゅうたを私の家に誘った。

家に向かう帰り道、「いちゃつきたいのは、生理前だから?」と聞いてきた。

今思えば別になにも思わないが、この日の私はこの一言がすごく気になった。生理前に性欲が増すことがある、というのは以前私が話していたことである。
でも、その日は違った。家に呼んだのは、一緒に居たかったからだ

昔からの悪い癖だ。
私は彼氏と一緒にいたいだけだなのに、いつもなぜかセックスする流れになってしまう。

もちろん性欲はあるし、挿入まで未だにいっていないから目の前に人参をぶら下げられて走る馬のようになっていることは認めよう。

でも、違った。いや、最初から違った。
私は、セックスなどそこまで重要ではなかった。

趣味が合わないから、性行為に逃げていただけだ。

私は、しゅうたに合わせていたんだ。
しゅうたを繋ぎ止めるのに、性行為が必要だっただけだ。

これでは、一人目の彼氏となにも変わらないじゃないか。

私たちは、昭和記念公園の後から、家デートしかしていなかった。

その時点でそこまでは気づかなかった。

でもとにかく年収の話を解決すべく「話
があるんだ」とだけ伝えた。
しゅうたは怯えていた。別れ話だと思ったようだ。

コンビニで酔いざましのため水を買い、一緒に飲んだ後、さっそく切り出した。

「この前の年収の話、嫌だった。しゅうたは人の価値を年収で判断してるの?」と聞いた。
「そんな風に思ってたのは知らなかった。ちゃんと性格で見てるつもりだよ」と返ってきた。

さらに家事についても話をした。

「ずっと、家事ができるようになってほしいと思われてるんだと思って悩んでた。今日まで、ほぼ遊ばずに練習してたけど、もう辛い。今の私じゃ付き合いたくないって思ってる?」と聞いた。

「そっか…。共通の話題がなかったから出していただけで、本当に
深い意味なんてなかった。ごめん。今のももちゃんに足りないと思っているところはないよ」

そこまで言い、話し合いは終わった。

そこからは言うまでもない。
いつも通り前戯だけしてしゅうたは帰った。

なにもせずそのまま帰ってもらうべきだったと、今では少し思う。

続き↓

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年収が低いと幸せになれないなんて、私は絶対に信じない

家具が揃い、私の悩みは1つ減った。

そのことに安堵していた。

そんなことをしていたら、いつの間にかあっという間にクリスマスが近づいてきていた。

家具の組み立てをした日、クリスマスの予定を決めた。


しゅうたがお店の予約を取ってくれた。
当日も、普通の恋人、いや学生のようにはしゃいであっという間に過ぎ去った。

なんだかんだで、25、26日2日間一緒に過ごした。

初めて一緒に夜を明かした。

シングルベッドに2人で寝るには狭すぎたからか、一睡もできなかった。
一睡もできなかったが、くっつている間だけは、仕事のことも、将来のことも、家事も、家具のこともどうでもよく思ってしまうくらい幸せだった。

これまでやりたいことをやっている人生が、一番幸せなのだと思っていた。
YouTuberのような人生が正解なのだと思っていた。

やりたいことが特にない自分は幸せになれないと思っていた。でも本当はそんなわけがないとも分かっていた。

おそらく頭では理解していたつもりだったが、心から納得はしていなかったのだろう。

そんな思い込みでがんじがらめになっているとき、音も聞こえない、周りも見えない深海にいるような息苦しさを感じた。

かすかに自分を救ってくれるような光を感じることもある。でもそこに目を向ける気力すら湧かない。

すぐに立ち直れないくらい精神的に落ち込み、もう2度と這い上がってこれないかもしれない恐怖に震えることもあった。

同じ静寂ではあるが、今回は違った。

暗い中、しゅうたが私の方に身を寄せてくる。

そのとき、しゅうたを暗闇の中にある一筋の温かい光のように感じた。
暗く静かな中、私の目の
前にあるかすかな光。

それさえあれば、幸せなんじゃないかと錯覚してしまうほど、これがあれば大丈夫だと確信したくなるほど、温かく感じる光。その光は、「お前はこう生きるべきだ」という外の世界の雑音から私を守ってくれているような気がした。


我ながらこんなくさいことを書くなんてどうかしている。本当にそう思う。

でも、何事もなく終わったわけではない。

事件は、26日の別れ際に起こった。


私たちは最後、銭湯でサウナに入り、夕食を食べて解散した

事の発端は、夕食時の年収の話だった。

会話の流れで、ふいに私の年収を聞かれた。
去年は手取りで270万だったと言った。彼は驚いていた。
まさかここまでお金がないとは思っていなかったようだ。

後から聞いた話だと、バチェラーデートでは、男性は女性の年収を確認することができないらしい。
そんなことを知るはずもない私は、てっきり年収を見たうえで納得して私と付き合っているのだと思っていた。

「俺だったらどうやって生活して良いかわからない」

確かにそう言われた。

一応少し昇給したので来年は手取り300万くらいはいくと思うのだが、確かに世間一般的には高い方ではないだろう。
稼ぐ能力がないと思われても、仕方がない金額ではある。


さらに、私は一般職だ。アピールできるスキルなど何もない。
転職したとしてもすぐにたくさんお金を稼ぐなんて不可能に近かった。

ずっと一緒にいるには、好意だけでは、ダメなのだろうか。そんなに現実は甘くないのだろうか。
お金が無さすぎると、どうやっても幸せになれないのだろうか。

父は、母よりお金を持っていた。
これだけ聞くと当たり前だろうと思われるだろうが、自営業をしている父と、キャリアのない母の年収は5倍くらい違うと思う。

父はお金があるが、浮気して家を出ていったせいで、血の繋がった子どもに嫌われている。
離婚した父にとっては、家族は父の母と父だけだろう。

離婚した当初は生活に苦しむ母よりも裕福で、家族を守るよりもやりたいことがある父の方が幸せなのだと思っていた。

でも、「子どもを捨ててでも仕事がしたい」と言った父は、なぜか私の連絡先を手に入れ、今でもLINEを送ってくる。

本当に幸せなら、捨てたものにすがりはしないだろう。

「金が全てだ。年収が人の価値を決めるんだ」そう言いつつ捨てた子どもに必死に連絡をしてくる哀れな父は、私にとって反面教師でしかなかった。

父が不幸に思えてしまうのは、すなわちお金があっても幸せにはなれないと私自身が思っていることでもある。

年収で私のことをかわいそうだと言うしゅうたは、大嫌いな父と何が違うのだろう。
彼も父のようにお金が全てだといい、すべてを失う人生を送るのだろうか。

私はしゅうたに失望していた。しゅうたは、お金で人を判断するような最低な人間だったのか。

いや、そういう考え方自体はあってもよいけれど、私とは根本的に合わないだろう。
信じたかったけれど、もう無理だ。しゅうたに付いていったら、私は不幸になってしまう。


私は年収が低いと幸せになれないなんて、絶対に信じない。だからしゅうたのことも信じたくない。
私が心から信頼している異性はこの世で弟だけだ。恋人ができても
変わることなどなかったのだ。

そう思ってしまうくらい、何もかもがいやになっていた。

続き↓

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どうしてこんなに人に頼るのも、信じるのも難しいんだか

しゅうたの家に行った後、悩んでいた。

2回目のデートで、体の関係を持つなんて、早すぎるのではないか

いつ関係を持つかなんて、本人たちで決めることに決まっている。正解などあるはずがない。
頭ではそう理解しているつもりだったが、気持ちはついていかなかったようだ。

「付き合った後どのくらいで体の関係を持つべきか」その答えを探すべく、Googleで早速検索をかけた。

少し調べると、平均して1ヶ月後と答えが出た。
まだ交際し初めて数週間だった。平均と比べるとどう考えても早い
軽い女だと思われただろうか。しゅうたは私のことを本当に大切に思っているのだろうか。


だんだん疑心暗鬼になってきた。


そんななかで、一週間先延ばしになっていた昭和記念公園の紅葉を見に行く日になった。

当日は立川駅で集合だった。
新宿付近でのデートが多かったので、遠出できるのが嬉しかった。

しゅうたおすすめの台湾混ぜそばを一緒に食べた後、昭和記念公園へ向かった。


しかし、時は12月。いちょうはすっかり枯れていた。
枯れ葉だらけの風景を見ながら冬の訪れを感じた。

寒かったが、せっかく来たので一緒にベンチに座った。

「俺、少し体調悪いかも。」
「あ、本当に?帰る?」
「いや、せっかく来たからもう少し見ていこうかな」

「そう?無理しないでね」

「なあ。俺がもしコロナみたいな感染症になったら、一緒に死んでくれる?」

え?どういう意味?
それを言う意味が分からない。

何か不安なことでもあるんだろうか。

今思えばそんな深い意味があるとは思えない。
彼はなにも考えずに
しゃべっているし、もうこれを言ったことすら忘れているだろう。

怖かったので「いや…死にたくはないかな」と冷たく突き放した。

「…そっか。じゃあ俺一人で死ぬわ」と少し悲しげな声が返ってきた。

本当に自分がコロナだと思っていたのだろうか。


その日は彼の言う通り夕御飯を食べずに早めに解散した。


結局しゅうたへの疑いは晴れるどころが深まるばかりだった。

付き合ったときも、「お互い相手がいないなら付き合おう」と言わ
れた。
じゃあ、もっと良い相手ができるまでだけの関係なのだろう
か。
明るい未来を思い描いてはいけないのだろうか。

やっぱり、クリスマスの日程を埋めたかったのだろうか。

数年前、一度だけクリスマスの予定を埋めるためだけにマッチングアプリで男性と会ったことがある。
もちろんクリスマスまで遊んでその男性とは関係が終わった。向こうは好意を抱いてくれていたが、男性として良いと思えなかったのだ。

これまで、人を傷つけたりもてあそんできたが、自分が相手側の気持ちになる日が来るとは思っていなかった。

本当に自業自得だ。


もう1つ、気になっていることがあった。


しゅうたはいつも家事のことを聞いてきた。

私は家事に全く自信がなかった。一人暮らしを初めてから半年以上経つが、部屋にはちゃぶ台とデスクトップパソコンしかなかった。

家電は電子レンジと冷蔵庫、ガスコンロだけだった。一応最低限揃っていたが、マッチングアプリで彼氏探しをしていた最中は忙しくて自炊など全くしていなかった。
毎食コンビ二に食べたいものを買いに行っていた。


ただダイエットは頑張っていたので、食べていたのは高タンパクで低糖質なものだけだった。

でも毎回その話をされるので、いつしか家事能力を試されているような気持ちになっていた。

この後の話はブログでも少し書いているし、友人たちもしゅうたも散々聞かされている内容でもある。

不安になった私は勝間和代のロジカル家事を読み漁り、必死で「楽して家事をする」方法を考えたのだった。

全く好きなことをする時間はなかった。

毎回Amazonで役に立ちそうな家電を探しては購入し、届いたら梱包を解いては説明書を流し読みし、機械に慣れる練習をした。

食洗機、衣類乾燥機、ホットクック、お掃除ロボット、さらに床拭きロボットのブラーバ。特に食洗機と衣類乾燥機は大きく、梱包を解き、設置をするだけで一苦労だった。


さらに彼は私の家をそのうち見てみたいと言った。

ちゃぶ台しかない家に、彼氏を呼ぶ勇気などなかった。

ネットでテーブル、ソファ、ベッドマットレス、ベッドフレーム、シーツ、布団カバー、ハンガーラック、衣類乾燥機用のラック、デスクトップパソコン用のテーブル、椅子。

とにかく大量に注文した。

上記の家電の梱包に加えて、家具の組み立ても必死で行った。
全く仕事の休みを取らずに組み立て続けたので、毎日泣きたいくらい大変だった。


上記すべてを組み立て終わり、残るはベッドフレームだけとなった

ベッドフレームだけ、どうしても力が足りなくて組み立て終わらなかった。

泣く泣く私はしゅうたに助けを求めた。

迷惑に違いないと思っていたが、頼んでみるとあっさり了承してくれた。
ベッドフレームの組み立てと、マットレスの設置を手伝ってもらった。


あんなに悩んでいたのに、作業は一日で終わった。
しゅうたは突然呼んだにも関わらず、初めて家に呼ばれたからか、頼られたからか、嬉しそうにしていた。

意地を張らず、最初からそうすれば良かったのだ。
私はつくづく人に頼るのが苦手だ。

こんなとき、実家にいた頃母が言っていたことを思い出す。

「案外、人って頼られると断れないもんだよ。困ったらもう少し頼ってみなよ」と。