【超癒された】1泊2日で草津温泉へ行ってきたよ
旅行に、行き先は重要だろうか。
わたしにとっては、別に重要ではない。
行き先よりも、日常と距離を置くために旅行がしたい。
少し離れたところから、自分自身を見つめ直すこと。
それは、わたし自身が幸せになるために必要不可欠なことだった。
手の届かないものだと思いつつ
やっとのことでつくり出したゆとりは
ふらりと出かけた旅先で、ようやくその光を発揮することもある。
もしかしたら旅で
やっと素直に自分を
見つめられるようになるのかもしれない。
すべての瞬間が君だった きらきら輝いていた僕たちの時間 | ハ・テワン, 呉 永雅 |本 | 通販 | Amazon「ささやかなゆとりをきみに」より一部引用
こんなことを思ったのは、久しぶりに旅行に行ってきたからである。
6年前に行った草津温泉。
2月19日から20日、1泊2日の旅行で再び訪れた。
湯畑周辺の宿に宿泊した。
周りには飲食店やお土産屋、コンビニがあるので利便性は抜群だった。
いいやま亭 - 草津町その他/釜飯 | 食べログで注文したのは「鳥釜めし」。
旅行先は同じでも、わたしの目に飛び込んでくる風景は6年前と違って見えた。
6年前は湯畑周辺に宿泊しなかったから、いや、年をとったから新鮮に感じるのだろうか。
さらに、もう一度いきたいと思っていた西の河原温泉へ向かった。
西の河原温泉の看板を取り忘れてしまったので川の写真だけになってしまった。
温泉内は、携帯の持ち込みが禁止だ。
脱衣所の外に無料のコインロッカー、中に有料のコインロッカーが設置されている。
わざわざ脱衣所の中のロッカーを使う理由もないので、脱衣所に携帯は持ち込まなかった。
インターネットと隔離された空間で入る露天風呂は、格別だった。
雪が降り積もった山に囲まれた景色を見ながら、6年前のことを思い出していた。
以前は、中学校の同級生と訪れた。
さとちゃんは、今も元気にしているだろうか。
また遊ぼうといったきり、コロナもあって連絡すらしないままになっている。
思い出したのはそれだけではない。
Tinder ではじめてであった男性、1とも草津温泉の、なかでも西の河原温泉は最高だと話したことを思い出した。
あの頃は、1のように苦しいときに悩みを聞いてくれる男性と一緒になりたい、一緒になれたらどんなに幸せだろうと思っていた。
でも1がわたしの話を聞いてくれていたのは、わたしの体が目的であった。
それを知ったのは、1と知り合ってから1年半が経過したころであった。
1に幻想を抱いている間、苦しかった。
自分の信じるものが間違っているなんて、認めたくなかった。
ときが経つにつれて薄々気づいていたが、見てみぬふりをした。
でも今となっては、1との出会いがあったからこそ今の自分があると思う。
こんな風に昔を振り返ったり、今の幸せを噛み締めることができるのは、普段過ごしている日常と距離を置いているからだ。
最近のわたしは自分自身の生活と、うまく距離を置けていなかった。
日常から少し距離を置いて気づいたことがある。
幸せになるのは、そんなに難しいことではないということだ。
昔のわたしは、現在の自分に成し遂げられないことをしてこそ、幸せになれると思っていた。
自分に全然気のない男性を追いかけて、必死で努力してきれいになって、振り向いてもらうことがわたしの人生のすべてだと思っていた。
夢を見てこそ、人生に価値があると思っていた。
とにかく必死で努力することが、幸せに直結すると思っていた。
でも違った。
幸せは、努力の量に比例しない。
自分を幸せにする努力と、世の中が定めるステータスを満たす努力は完全に別物だ。
世の中が求めているステータスを満たす努力。
お金を稼ぐ努力、自分に好意を抱かない男性を振り向かせるための努力、「良い彼女だね」と言われるための努力。
その努力をすれば、世間の誰かが自分を認めてくれたり、羨ましがったりするかもしれないが、自分が幸せになれるとは限らない。
では、自分を幸せにする努力とは具体的になんなのか。
自分を幸せにする努力は、ただ単に家に引き込もって「やりたいこと探し」をすることだろうか。
いや、それだけではない。
「自分を見つめ直すために、非日常の中に身を置くこと」ことも、自分自身を幸せにするために必要な手段のひとつなのではないか。
和牛ビストロ 三國家 - 草津町その他/ビストロ | 食べログは、蕎麦で有名な三國屋の隣に併設されているお店。三國屋と同じお蕎麦が食べられる。
草津温泉プリン - 草津町その他/スイーツ(その他) | 食べログで、映えるプリンをゲット。
カフェは、草津温泉 TEA ROOM ゆきうさぎという温泉街にあるとは思えないくらいかわいいカフェで最後にお茶。
振り返ってみると、旅行に行く前のわたしは時間さえあれば恋愛、ブログ、韓国ドラマのことばかり考えていた。
それが日常と化していたが、行き詰まりを感じていた。
だから、少し距離を置きたかったみたいだ。
離れないと、見えてこないものもある。
その事実に気づけたから、今回の旅行はわたしにとって「新しいものの見方」「考え方」を与えてくれる旅であったと思う。
真の発見の旅とは、新たな風景を探すことにあるのではなく、新たな目を持つことなのだ
私が望むことを私もわからないとき - 見失った自分を探し出す人生の文章 - | チョン・スンファン, 小笠原 藤子 |本 | 通販 | Amazon
「日常を抜け出してこそ真の旅行」より一部引用
旅行では、日常と距離を置くことが一番大切だ。
コロナ禍で、手軽に日常と距離を置く方法があれば良いのだが、なかなか難しい。
なにか良い方法はないものかとつい考えてしまう。