【失恋】好きだった人を無理矢理忘れようとしているあなたへ:「アンダー、サンダー、テンダー」書評【ネタバレあり】
昔別れた恋人がいて、今でもその人が忘れられない、そう思ってしまうことってありますよね。誰にでもそういった経験はあるのではないかと思います。
先にそんな人たちへ、伝えたいことがあります。
別に無理して忘れたり、吹っ切れたりしなくていいんじゃないですか?自暴自棄になって自分の将来を駄目にしていなければ、それでいいんです。
全然答えになってないですよね。でも、この本を読んで、その人を忘れられないからといって全ての物事が上手くいかなくなる、ということもないということに気づかされました。
今回私が読んだ本はこちら。
チョン・セラン著「アンダー、サンダー、テンダー」です。
前回の記事で購入した、恋愛ものの小説が今回紹介する「アンダー、サンダー、テンダー」です。前回の記事はこちらからどうぞ。
こちらも前紹介した「女ふたり、暮らしています。」と同様、韓国の書籍です。
大まかなあらすじは、北朝鮮との国境の町、城州(パジュ)で暮らしていた高校生6人組の物語で、主人公「私」の高校時代の回想を交えながら現在30代を迎えた6人の変化や悩みが描かれていました。この物語の要となっているのは、高校時代の「私」の初恋です。高校生6人組の中の、一番主人公と関わりが深いジュヨンという女の子の兄、ジュワンが主人公の初恋の相手です。
「私」はジュヨンの家に遊びに行ったときに、偶然ジュワンに出会います。そこから「私」がジュワンについてこの時点で「私」が分かっていることは、普通の学校に通っておらず、家に引きこもっているジュヨンの兄、ということだけでしたが、ジュワンに好意を抱き、ジュワンに会うためジュヨンの家に何かと理由をつけて行くようになります。
そして、ジュワンから、「今週はずっと(家で)ウッディ・アレンの映画を観るつもりだ。だから…」言われ、その先は言わなかったものの、「私」は家に招待されていると察し、ジュヨンの家に映画を観に頻繁に通うようになります。
ジュヨンが「だから…」のその先を 言わなかったのも良いですね。恥ずかしかったのもあるんでしょうし、言わなくても察せる「私」は、ジュヨンと心が通じあっており、以前より距離が縮まっていることが遠回しに表現されている気がします。
それから映画に詳しいジュワンは、「私」に様々な映画を紹介してくれるようになります。徐々に「私」はジュワンと仲を深めていき、ある日自分からキスします。一度拒まれても「私はその目(ジュワンの目)の中に、私を拒むものを何も見つけられなかった。ただ、あるぎりぎりの節制だけが見えたから、両手を振り払って二回目のキスをした。…
母の言葉は正しかった。男の子と二人になるのは危険だ。男の子ではなく、私が危険だった。」と回想しています。
いやー危険ですね。これは危険。もう読んでるだけでドキドキが止まらないです。
「あるぎりぎりの節制」という表現の仕方も最高です。本当はこんな軽率にこんなことしてはいけないのに、でも心の底から相手を求める気持ちが湧き上がってきて、もう我慢できない、どうしようもない、みたいな、学生時代恋愛をしていた頃の気持ちを思い出します。
ジュワンが一度拒んだのは、自分は「機能しないから(この意味は後半まで明かされない)、君に対してよくない」からという理由でした。それに対して「私」は言葉では返さず、2回目にキスをすることで「そんなものは気にならないくらい好きだ」と伝えているところも無鉄砲で、がむしゃらで、でも素直で、本当に若者の恋愛って感じですよね。
そして、キスした二人は、この後急接近します。
ひょんなことからジュワンのファーストキスの話を聞いた「私」は、その話自体は不快ではなかったけれど、「ハジュ(ジュワン)と寝なきゃ」と思うようになります。
分かります。自分を大事にしたい、相手も大事にしたい。けれど進展させないことで相手に好意が伝わらず、うまくいかなくなってしまうのも嫌だし、何よりキスしたときみたいに、相手を心の底から求める気持ちが強すぎて、心も身体も自分のものにしたくてたまらない。ってことですね。
で、いろいろあり、最終的に2人は身体の関係を持ちます。
ここまで仲を深めてきた2人の関係はジュワンの突然の死によって終わりを迎えます。
あんなにいい感じで来たのに、ジュワンはあっさりと殺害されてしまうのです。
「私」は、ジュワンの死を受け入れられず、ジュヨンや他の高校生時代の友人5人としばらく距離を置いて過ごすことになります。「私」はすっかり壊れ、ジュワンに似た人と片っ端から付き合ったり、性行為したり、ジュワンはまだどこかで生きていると思い込んで生きるようになってしまいます。ついにジュヨンは「私」をカウンセリングに連れて行き、友人にも会うようになり、次第に「私」は正気を取り戻していきます。
最終的に「私」は、30代を迎えても高校生のとき好きだったジュワンを完全に忘れることができませんでしたが、違う男性と一緒に住むことに決め、夢を叶えるチャンスを掴みます。
それに対し、ジュワンは、主人公と出会う前に、初恋の相手を失った経験をしていました。非常に繊細であったため、その経験から立ち直れず、麻薬をやってしまい、最終的に主人公と会う頃には引きこもるようになってしまっていたのでした。
この2人は対照的に描かれていたので、著者は、
初恋や、昔の恋愛は、何年、何十年引きずったって、忘れられなくたって、自分の胸の中に大事な思い出としてしまっておいたとしても大丈夫。特に10代の恋愛の思い出は強烈で、色あせないだろうから。
でも、どうか辛いからといって自分の将来を諦めたり、駄目にしてしまうことだけはしないでほしい。
というメッセージを伝えたいのではないかと思いました。
もし、忘れられない人がいて、辛くてどうしても死んでしまいたい、もう自分なんてどうにでもなってしまえ、と思っている人がいたら、絶対にそれは違うと思います。やっぱり若いときって前頭葉の働きが活発なんですよね。活発な分それだけ嬉しいことはより嬉しく、悲しいことはより悲しく感じてしまうんです。脳みそが活発だから感情の波が激しくなってしまう。だから若いころの思い出って強烈で、鮮明で、色褪せづらいのではないかと思います。
もし、自分の人生を諦めようとしている人がいたら、聞きたいです。
どうして、辛い経験をしたあなたが将来まで諦めなければいけないのですか?立ち直れないほど辛い経験をしたあなたの人生はより一層、奥深く素晴らしいものになるはずです。あなたの地位や、お金はもしかしたら誰かに奪われてしまうかもしれません。でも、あなたが悩み、考え、行動した経験は、誰にも奪うことのできない、貴重な財産です。そんなあなたの人生は諦めるには本当に惜しい人生なんですよ。だって、あなたのような辛い経験をした人は、同じ経験をした別の人に手を差し伸べられるじゃないですか。
どうか、好きな人を忘れられなくて辛い、忘れなければいけないと思っている方々へ、一人でもチョン・セラン先生のメッセージが届くことを祈っています。もし心とお金の余裕があったら読んでみてほしいです。
それとは逆に、たまには若かりし頃の恋愛を思い出したい、そんな人にもこの本をおすすめしたいです。チョン・セラン先生の表現力はほんとに素晴らしいので共感できること間違いなしです。