僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

【ももこのひとりごと】悩み、ときどきご自愛\(^o^)/

休職後、生産性のない毎日を過ごしています。

 

ももこです。

 

今回は、

 

●休職して、前職の経験から働き方や会社、社会について思うところがある。仕事一辺倒な人以外も認められる世の中になってほしい!

 

でも、考えるだけでな~んもしてな~い!\(^o^)/

 

●上記でいろいろ考えたけど、まあ無駄な日があったっていっか~。それが私にとっての休みだし。試しにご自愛でもしてみるか~!って思った/(^o^)\

 

 

という2つが言いたいだけのももこのひとりごとです(´∀`)

 

まとまってもないし、なにも行動に移していないので、

 

まじで考えてるだけ

 

今忙しいです!時間を無駄にしたくないです!という人はここでブラウザバックしてください( ノД`)

 

会社に行かなくなって1ヶ月経つ。

 

そしてようやく朝起きみても良いと思えるようになった。

やっと昼夜逆転生活から抜け出せそう。

 

休職する前は休むとは、何もしないことだと思っていた。

 

だけど、実際は違ったのかもしれない。

 

休むというのはただ家にいてダラダラと時間が経つのを待つのではないのかもしれない。

 

休むというのは悩みから上手に離れることなのかも。

 

と、自然に思えるようになった。

 

ただ私のように、日々仕事のことを考えることが習慣になってしまっている人からしたら、それをすぐに正すのは難しいかもしれない。

 

働いていない状態でも仕事について考えてしまうのは、よく言えば仕事について真剣に考えている証拠でもある。

 

だから決して悪いことではないのだけれど、眠れなくなるまで悩んでしまうのは度を超えてしまっている。

 

ただ、資格を取得したり、家庭を犠牲にしてまでやりたい仕事はない。

 

けれど、事務職の割に割と理不尽な目に遭ってきた身としては、このようなことが起こらない社会になってほしいという気持ちも捨てきれない。

 

どんなに大きく、人数の多い会社だとしても。

会社がその人の最低限の生活を保証できない、保証しようとしない、働いている人を頭ごなしに否定するのは違う。

 

どんなに無能だとしても、私のように会社で自分を出すのが苦手な人間でも、その人にはその人のよさがある。

 

結局、必要のない人間なんていないんだよなあ。

 

優遇されている人がいる会社、社会では、逆にいえばその陰で虐げられている人がいるということなのではないか。

 

優遇されている人は権威のある人から守られるけれど、弱い立場に置かれている人はどうなってしまうんだろう。

 

その人たちのために、何かできることはないのかなあ。

 

ただ、私も他にやりたいことや生活があるし、大したことはできないかもしれないけれど。

 

働いていて、家庭と仕事の両立に悩む方を何度か見たことがある。

 

だから、家庭と仕事の両立に悩みながら奮闘する人が虐げられることのない社会になったら良いなあ。応援したいなあ、なんて思う。

 

だけど、困っているのは家庭を持ってる人だけではない。

仕事だけを頑張るのが当然の会社では、プライベートを大事にしたい人だって困るはずだ。

 

家庭を持たずとも、自分のプライベートを大事にしながら働いている人たちのためにも頑張ってみたいと思う。

 

そう考えると、全然やりたいことがまとまってこない(;ω;)

 

今の私の会社は、関東圏に住んでいる、うちの会社のサービスを使ってくれている会社や一個人に対して商売をしている。

 

つまり、仕事とプライベートの両立に悩んでいる人も、そうでない人も含まれる。

中には若者に負けて自尊心を失いたくないという人や、自分の保身のことしか考えていない人の助けになっているかもしれない。

 

好き嫌いはよくない。

だけど、正直に言ってしまうとそういう人たちが苦手だ。

 

そう言う人からはうまく距離を置き、反面教師にできることはするとして、やはり本当に困っている人、格差社会の中で弱い立場にある人のために働いてみたい。

 

弱い立場にある人が、自分の身を守れるような環境づくりに貢献できるような仕事がしてみたい‥けれど、そんなぼんやりした動機、そして低いモチベーションで成し遂げられそうにないという結果に至る。

 

そして今日も好きなことだけを書いて一日中が終わっていく。

 

職場いじめパワハラが起こらない社会や、自分の家庭を犠牲してまで仕事を優先することが当たり前にならない世界の実現に貢献する会社に仮に勤めることができたとする。

 

仮にそういう会社に勤めることができたとしても、そのようなサービスを提供する、顧客になる企業は前職のようなパワハラ職場いじめ、偏見をするような企業になる。

 

正直、そのようなトラブルだらけのメンタル崩壊しまくる職場にいたくないと思う。

 

だけど、実際そんな思いをした私だからこそ、真剣に向き合うことができる問題であるような気もする。

 

矛盾している。でもこんな矛盾とずっと付き合いながら、生きていくのかもしれないという気もする。

 

どうせ逃げられない。どうせ悩み続けることに変わりはない。

 

そうであれば、今日は一旦この悩みは置いておいて、ご自愛してみても良いのかも。

 

ということで一時脱線。

 

そう思って、ずっと行きたかったカフェに行ってコーヒーを買った。

 

Twitterで見かけたもんぬ様のご自愛ツイートに載っていたスシトーキョーテンに行った。

 

すると自然とやらなければならない買い物ができてきた。

 

何も悩まなくても行動できた。

 

実際は、部屋でうんうん唸っている方が、よっぽどストレスなのかも。

 

散々悩んだ挙句に結局脱線。

 

そんな日があったって、いいんじゃない?

 

というか、私にとって休みとはそういう日なのかも。

 

という感じで、全然まとまっていない。

 

たまにはこんな記事があっても良いかなあ、と思ってアップしました(´∀`)

 

こんな生産性のない、無駄な日、無駄な記事があったって良いんじゃない?

 

むしろ誰か代わりにまとめてください(;ω;)

 

まあ、こんなわけの分からない人もいるんだって安心してもらえたら逆に嬉しい

 

最後まで読んで下さってありがとうございます!

【事務】新卒正社員として4年勤めてきた会社を休職した理由と経緯について\(^o^)/

お久しぶりです。

 

ももこです。

 

12月23日から、正社員として勤めていた会社を休職しました。

 

 

ももこ、この度しばらくお暇頂きます(凪のお暇のパクリ)。

 

一度で良いから言ってみたかった。

 

凪のお暇は、28歳で休職決意したOLの漫画。

なにそれ?って人もいると思うのでURL貼っておきます。

dokusho-ojikan.jp

 

おふざけはさておき。

休職した理由、経緯について書いてきます。

 

現在の会社は新卒で入社し今年で5年目。

総合職として採用され、職種は営業事務でした。

ちなみに5年の中で異動はなく、ずっと営業事務の部署で働いていました。

 

一口に営業事務と言っても、会社によって業務内容それぞれだよね。

 

ということで以下に具体的に書いてみます。

 

主な業務内容

・伝票処理

・親会社システムへの販売機器登録

・売上計上

・売上、売掛金管理

・請求書・領収書発行

・公官庁向けの請書、請求書、見積書作成

・作業前中後写真作成(一部)

・電話対応(クレーム一時受付)

・店口対応

・新しく異動してきた方の上記業務内容の引継ぎ、進捗確認、マネージャーへ進捗報告、チームメンバーのスケジュール調整(休暇の際、他の業務が時間的に押してしまった際のフォローやスキルアップのための仕事の入替提案)

・業務のフロー改善(無駄な処理を削減)

・業務共有のためのマニュアル作成(エクセル2-3枚に渡るものから10枚のものも有)

 

下3つのマネジメント業務を除くと、私の会社の営業事務は伝票処理が一番難しい

 

たぶん、結構変わってるよね。

 

伝票処理は、経営に関する経理(ミスが許さない)と売上重視の支店(スピード重視)、さらに親会社(3社)から指摘された際に困らないようオーダー通りに書類を仕上げてシステムに入力する仕事。

 

親会社は大手エネルギー会社、その系列の工事会社、そして毛色の全く違う建設系会社の計3社の出資で成り立つ子会社だったので、親会社から指摘されないよう確認する項目が特別多かったと思う。

 

振り返ってみると、出資先の信頼に関わる大事な仕事だったんじゃないかなあ、なんて思う。

 

つまり、経営、支店、親会社3社の5つの視点から見て完璧に仕上がっていることが求められる。

 

視点多くね?( ´∀` )

 

しかも、出資先の信頼に関わるのであれば尚更スピード、メンタル重視な電話対応とミスが許されない経理的な仕事が入り混じるようなことはあっちゃいけない気がする。

 

ただ、うちの会社は業務が縦割りになってしまっていました。

なので仕事を点として捉えることのできる人はいても、線として捉えることのできる人がほぼいなかった。

 

つまり、業務が多岐にわたり、全体像を把握できている人が少ないので不要な業務の削減もできないような状態。

 

マネジメント業務がかなり弱いせいで、

最悪の状態(;゚Д゚)

 

両方マルチでできる人ってなると、人員の確保も難しい。

親会社からの圧力にもへこたれないくらいメンタル強く、尚且つ電話対応も可能なくらいスピード重視の仕事もでき、さらに数字も強い事務職ってあんまりいないよな。

正直、監査対応とかは本来別部署のマネージャーが行うはずなのだけど、うちの部署は守ってくれるような上司がおらず、会社として何も対応してれなかった。

 

そんなマネジメント業務が特別行き届いていない会社で、尚且つ親会社3社からのオーダーに応える営業事務をしていました。

 

では本題の、休職した理由について書いていきます。

 

休職の理由は以下の3点です。

●人手不足が深刻な上に人員が補充されないから

●職位が二段階上のマネージャーがマネジメント業務にきちんと入らないから

●上記2点の状況が続き、耐えきれず適応障害になってしまい、診断後半年経つが、改善するどころか悪化してしまったから


実は昨年2月から仕事がうまくいかず、悩んでおりました。

昨年2月から9月までの仕事の状況についてはこちらから。

momokoara0402.hatenablog.com

 


上記の記事にもありますが、4月の人事異動でチームリーダー含む正社員3名が異動になり、一般社員である私にチームリーダーが担当するようなマネジメント業務が追加されたこと、新たに配属された正社員2名と、マネージャー、今までいた時短勤務の先輩が自分の仕事をきちんとしなかったことが私の一番の不満の原因です。

 

つまり上司のマネジメント不足と、正社員同士の人間関係がうまくいかなかったため休職してしまいました^^;

 

中でも新たに配属された正社員2名(40代後半のおばさん、30代後半のおじさん)に4月に異動した正社員の方々の仕事をお願いしたのですが、きちんと覚えなかったり、自分でしたミスを直さなかったりすることが日常茶飯事でした。

 

配属された正社員のうちの1人(30代後半のおじさん)は、私が中心に引き継ぎを進めました。

その方は、配属される前から仕事のできない方で有名な方でした‥‥(;´д`)

まあ、それでも上司からその方の引き継ぎを任されてしまったし、嫌だったとしても仕事だからね。

その時は上記のように思い、引き継ぎ業務に入りました。

その方はメモをほぼとらないので、事前に最低限チェックしてほしい項目を簡単にまとめ、マニュアルを作成して渡した後、引き継ぎを進めました。

引き継ぎ自体は一ヶ月ほどで終わり、このままいけば仕事が減るかな‥‥と思っていたのですが甘かった。

その方はそもそも

●注意しても何度も同じミスをしてしまう

●自分のミスを自分で訂正できない

●間違えた際、どうして間違えてしまったのが分析しない、マニュアルを読み返さない

●年上(30代後半)なので「私なんてもってすごいミスをしたことがあるから、こんなの全然大丈夫です」など鼻につかないよう引き継ぐも、ミスを指摘するとふてくされてしまう

●勤務時間中離席が多い。

 自分の業務が終わっていなくても離席し、社内のどこかにいってしまう。

●上記を上長から注意しても改善しない

という6点があり、結局私が引き継ぐことができると思っていた業務量の半分くらいしか引き継ぐことができませんでした。

 

いや、やばいよね。無理じゃね?

 

3ヶ月経過しても状況が変わらないので上司に部署の人数を増やせないかきいたのですが、結局上司は具体的な解決策を提案せず、「そこをなんとかしてくれないか」と言うだけでした。

まあ、無理ですとお断りしたのですが、

 

なんか、やらざるを得ない状況‥‥(;´д`)


無理だから、無視するか!と潔くその方を放っておいてみたのですが、他の嘱託社員の方からその人のミスを訂正するように依頼が来るようになりました。

何度お断りしても、私にミスの訂正をさせてきて、そのことに対してなんとも思っていない様子‥‥(;´д`)


上司にも伝えましたが、結局状況は改善されず。

それでも、気にしたら負け
引き続き自分の仕事に集中し、気にしないようにしました。

 

でもやっぱだめだった。

 

結局二人にミスの原因を特定させるとそのミスの特定に一時間以上かかり、他の業務に支障をきたすことが増え、最終的に私が訂正することになり始めました。

それがだんだん当たり前になり、さらに2人の仕事は減り、私に仕事が集中。

 

なんのために業務引き継いだ??(# ゚Д゚)

 

私は私で自分の仕事を一部他部署の先輩2名に引き継いだ後上記の2人に仕事を教え、ミスを訂正しつつさらに時短の先輩の仕事に入ることになりました。


その時点で少し体調が悪かったので新しく異動してきたマネージャーに心療内科に通っていること、そこで適応障害と診断されたことを報告。

まあ、そこまではオーバーワーク気味でしたが、この先のことを考えると不安だったので致し方ない。

問題はその後。

 

時短の先輩はお子さんがいるから忙しい(?)のか、

 

なかなか私に仕事を教えてくれませんでしたΣ(・□・;)

おいおい、まじかよ。

 

2年ほど前からその先輩は同じ業務に取り組んでおり、私よりも経験年数の長いベテランの方なので能力的に教えられないなどはないと思うのですが‥‥。

 

一人で業務を抱えたまま長期のお盆休みに入るというので、それまでに私は先輩の仕事を勝手にやってみました。

常識的に考えたら普通はやらないことなのだけど、休みの間にトラブルが起きる可能性があると思うと心配でした。

やっぱり、普通は勝手に処理したりしないから、先輩はよく思わなかったみたい。

一応マネージャーに話してオッケーはもらったのですが‥‥(;´д`)


まあ、私も悪いけど、業務の引き継ぎもせずに長期休み入ったら普通周りに迷惑かけるのでは?思う。

引き継がない理由も教えてくれないし。

 

まあ、勝手に処理した後はしぶしぶ教えてくれたのでお盆休みのことは一件落着。

 

結果私以外のメンバーはお盆休みを取ることができました。


でも私はお盆休み(5日+土日の連休)をとることができずショックでしたが…。

 

もう半ば諦めていたから、もういいやって感じだった(^^;

 

読んでいる方はお察しかもしれませんが、その時短の先輩、たぶん会社のお局的な存在だったみたい(;´д`)

 

私はこの時点では全く気づかず、その先輩にもガンガン自分の意見とか言っちゃってた‥‥。

こういう察しの悪さがよくないんだよなあ

 

とつくづく思う(´;ω;`)

 

まあそのとき私自身は、なんか変だな~程度にしか思ってなかんだけど。

 

しかし状況はそこからさらに悪化。

 

お盆休暇のサブで入った先輩の業務が次第に私のメイン業務になってしまったのです。

 

そりゃ心折れるわ。

 

さらにいろいろ教えて貰っているうちに、

確実に急ぎの仕事ではないことが発覚Σ(・□・;)

 

 

それなのに先輩はその急ぎでない仕事があるため、私の業務(その日中の処理が必要)に入れないというのです。

 

ええ~!どゆこと?!ってなるよね。

 

 

先輩のやり方に疑問を感じ、結局私はサブで入った業務をメインで処理することに。

しぶしぶ先輩はしばらく私の仕事を見てくれ、間違いの訂正などを教えてくれました。

今思うと人の仕事見るのって大変だから、先輩にも迷惑をかけてしまって申し訳なかったな、と思う。

 

ただ、結局教えてくれている間は私のメイン業務の量はほぼ変わらず、教わっている先輩の業務もほぼもらうようになっていました

 

いや、業務量最終的に増えてね?なんのために教わったんだろう‥‥(;´д`)

 

そして9月にその皺寄せが来たのか、私は腸炎&朝起きられない症状に見舞われ、月2回ほど突発で休み。

 

思ってみれば9月は今年度来た休みがちな正社員のおばさんがお盆休みを8月にとったのにも関わらず、9月にも一週間程度休暇を取っており、私が出勤していた際は基本的に私が処理をしていました。

 

てかマネージャーなにもしなさすぎなのでは?って思うよね。

私も思ってた。

 

 

そして10月。

 

ここからがさっき紹介した記事に書いていない、新たな情報になります。

 

ここで支店長付の元上司が異動してきました。

ただ、その方は嘱託の方で、今年度67歳。かなり年配。

 

まあ、元上司でしたし、1人人員が増えるということだったので、そのときは不安よりも安堵していました。

だがしかし。その方はマネジメントと称して業務に入らない少し困った方でした。。

 

まあ、知ってたけどね。

 

確かに仕事をしない正社員のおじさんとおばさんを叱ってはくれたのですが、2ヶ月くらいで諦めてしまった?ようで、

しきりに私にあいつ二人に何を言ってももう無駄だ。

そして、人を呼ぶよう上に話もしてみたけれど、呼んではくれないみたいだ。

と言うようになりました。

 

諦めるの早すぎでしょ(# ゚Д゚)

どうにかやらせるのが管理職の仕事なのでは?

 

ただ、その元上司は人事権があるようで、他部署の正社員を異動させる、だけど今いる正社員1名と入れ替えになると言われました。

そのことを私は元上司に直接言われました。

 

いや~そんな経営に関するようなこと1社員の私に言われましても。

心療内科通ってるし、力になれないよ!(;゚Д゚)

 

 

と戸惑いつつも、人員が足りていないので入れ替えでなく増員が良いと言いましたが、通りませんでした

 

てか9、10月はそんなことをいっている場合ではないほど忙しかった。

 

重たい業務が動かず。さらに仕事を覚えない正社員の分も仕事を引き受け。

それにプラスして夏に先輩から無理矢理もらった仕事をほぼ一人で進めるようになりました。

 

かなり精神的にも体力的にも辛かった(´;ω;`)

 

さらに、その頃から振替休日をいつ取るかで揉めるくらい人間関係がぎすぎすしていました。

 

もう最悪。

ただでさえ人間関係悪めの会社なのに、さらに悪化するとかもうおしまいだよね。

 

私の会社はシフト制なので、土日出勤した分はもちろん振替がとれます。

人が足りていれば問題ありませんが、私の部署は人事異動で人が減っていたので、他の人と休みが被らないように振替なければならなかったのです。

 

まじでほぼ大事な予定入れられない。

実は2年前から希望休あんまりだせてなかったんだよね(;゚Д゚)

 

ただ、勇気を出すことにして、10月から病院のため午前半休をもらうことにしました。

月2回くらい。

結構無理矢理もらった。

 

それくらいなら最後先輩の処理が遅かったとしても取り返せると思っていたのです。

9月は通院すらままならないくらい仕事の終わる時間が読めませんでした。

 

病院にいつ行けるか分からない状況がこのまま続くと思うこと自体がストレスになっていました。

 

なので、勇気出して正解だったと思う。

 

そして11月。

ついに

 

●正社員2人の仕事が遅く、終わったのを確認してから帰らなければならない

●相変わらず上記2人のミスが多く、間違えても訂正しない

●時短の先輩のフォローも微妙

 

という3点に嫌気が差し、4月から異動してきた2人の仕事をほぼ全て私が処理することにしました。

 

ちなみに、なかでも一番困っていたのがミスの訂正。他人のミス訂正するのがすごく時間がかかって、本当に迷惑していた( ノД`)…。

 

それなら一人で処理した方がましだという決断に至ったのです。


だけどね。

ただ処理するのでは私が損をする。

 

ついでに、上司がマネジメントしていないことをもっと上の偉い人にバラしちゃえ!!(# ゚Д゚)

 

 

まあ、昔先輩がそうしてたから、やってみようと思ってしまった。

さすがに会社の勤怠のシステムに時間外している記録が残ればもっと上からつつかれるでしょ。

 

そして、残業をしまくる決意をしたのです。

 

もう、マネージャーがマネジメントしていないことをたった1ヶ月で証明できるのなら、42時間だって越えてやる!と思っていました。


さらに、この月から、有休消化と、通院のため週に一度午前半休をとりました。

 

つまり毎週午前半休取得。

 

半休で私がいないときは正社員2名と時短の先輩に入ってもらうという約束(?)で取得しました。

 

もちろんマネージャーに取得は認めてもらっていた‥‥のですが、やはりマネージャーも周りの正社員もよくは思わなかったみたいです(笑)。

 

有休って労働者の権利ですよね?( ´∀` )

 

午前半休を取得すると、きまって時短の先輩から個人携帯にLINEが来ていました。

 

まじで怖すぎ。

 

内容は私が午後から出勤してくるようだけど、午前仕事をどう進めたらよいかわからないというものでした。

それも先輩勤務時間中に送ってきてる。

 

いや、暇なの?やばくないか(;゚Д゚)

 

というか、私より10歳近く上で、お子さん3人産んでブランクあったとしても7年は勤続年数長いよね?(^-^;

わからないってなんだろう‥‥??

 

まあ、本当にわからない?のかもしれないし、困っていたかもしれない。

 

ただ今思うと有休をとった私への当て付け‥‥だったのかも。

 

まあ普通送らないよね。他の先輩からそんな連絡きたことないし。

もしかすると仕事ほぼ貰うとかいうくせに有休とったからかな?

 

だとしても今まで処理してたんだからやり方分かるよね。

 

さらに、一緒に働いていた正社員のおじさんから○○さん(私)が、仕事を渡してくれないせいで業務に取り組めないといい始めました。

 

もういいや、この人(^ω^)

 

あなた、業務に入っていたって離席ばかりしてほぼ処理していないよね?

 

とは思ったけれど言えるわけがない。

言いたいことを全て飲み込み、私1人で仕事を進める決意をしました。

 

まあ、よくないんだけどね。

 

そして10月は無事(?)43時間残業になりました。

 

もちろんマネージャーもさすがに気づいたようで、

 

●残業したとしても普通は20時くらいまでが常識であること

●次は42時間以内に残業を収めること

●午前半休を有休で取得するのをやめて、シフトで調整させてほしい

●4月から異動してきた正社員に仕事を渡すように

 

という4点を注意されました。

 

まじでそれ言うなら具体的な解決策提示してくれ。

 

一応以下私的反論。

 

●残業しても普通は20時くらいまでが常識である

→人手不足だし、マネージャーがなにも処理しないからこうなってるのでは?

 

●次は42時間以内に残業を収めること

→現実的に不可能ですけど?サビ残つけるように指示してる?

 やるとしても絶対証拠つかんで労基に訴える(# ゚Д゚)

 

●午前半休を有休で取得するのをやめて、シフトで調整させてほしい

→有休やめろとか、会社で指示しちゃいけないよね?会社員の権利だよね?なんで自由にとれないの?同じ部署で突発で有休使ってる人たくさんいますよね?

てか労基とか大丈夫?

 

●正社員のおじさんに仕事を渡すように

→仕事渡しても処理しないし、おじさんのミスまで私が直してる。

そんなに言うなら自分で面倒見たら良いよね?(^-^;


その時点で相当頭にきてた。

普通にきしょすぎ。絶対無理。


極めつけに、元上司の方から直属のマネージャーは、私が適応障害心療内科に通院していることを上司である支店長に報告していないらしいと聞いてしまいました。

 

え‥‥?42時間を越える残業はサービス残業、有休も断られて、病気なのも隠されてる‥‥?

 

仮にそれが嘘だったとしても、元上司の方に言ってもなにも改善されてない。ということは、会社の方から環境を整えようとする気はもうないのかも。

 

あ、もう無理。

その時点で会社への信頼が0になりました。

 

新卒から5年間、ダメな社員だったかもしれないけれど、それなりに頑張ってきたのに‥‥。
どうしてこんな目に遭うの‥‥?

 

本当に自分の中の大事な何かが折れてしまった感じがしました。

 

落胆した私を見かねて元上司がその月から帰り一緒に帰らないか、となぜか誘ってきました。

たぶん元上司は私を引き留めたかったんだと思う。

 

私は眠れないし、なにより会社に長くいたくなかったので、なるべく元上司も避けていましたが、うまく避けきれず。

 

電車の方面が同じという謎の理由から何度か一緒に帰ることに。

 

帰りの電車のなかでも結局仕事の話。

それも、会社の誰々が使えないとか、会社の裏事情とか、経営に関する内容とか‥‥(;´д`)

なんか、上司の話を聞いて共感しなきゃいけない雰囲気でした。

というか、大変だから力になってくれないかみたいな内容。

 

正直、困ってた。

 

適応障害で診療内科に通っているけれど、私はもう少し頑張れると言われ続けてしまったのが辛かった。


そして12月。

この月から業務を正社員の2人にまた戻し、嫌々2人を管理しながら(?)業務を進めることになりました。

 

もうマネージャーと元上司の圧力にこれ以上逆らう勇気がなかった。
今思えば私も中途半端な覚悟でマネージャーの管理不足を上に報告しようとしていたのかも。


正社員のおばさんはあまりにも一人で業務に取り組めないので、他の業務に入ることが決まっていたみたいです。

 

なのでこの月から間違いとかもさらに直さなくなった。

結局私がいつも通り訂正(;´д`)

 

おじさんの方は仕事がきたから仕事をもらえなくて困っているみたいな話はされなくなったけれど、以前として処理できる件数が著しく少なく、離席ばかりしてしまう。

マネージャーは私が先月42時間残業したことを根に持っているようで、関係はさらにぎすぎすしていました。

 

また地獄に逆戻りか‥‥(´;ω;`)

 

そう思い、本気で休職を考え始めました。

そして、12月半ばくらいに元上司が手配した正社員の方(30代後半女性)が異動してくることが正式に決まりました。


ただ異動すればよかったのだけど、ただでは済まなかった。


マネージャーから、新しく異動してくる人には、何を任せる?と聞かれました。

 

内心、それを考えるのは管理職の仕事のはずだと怒りがこみ上げてきました。

 

でも、もういいや。何を言ってももう無駄だし、と自分に言い聞かせ結局助言。

 

正社員のおばさんと入れ替わりでくるのだから、その人の仕事が良いのではないかと私は伝えました。

 

しかし。ここで時短の先輩が登場。

「いや、新しく来る人は頑張ってくれる(?)はずだから、私が受け持っている仕事を渡します」と宣言。

 

確かに時短の先輩も次第に残業が増え、20時間?くらいやっていたらしい。

 

何度か声をかけたりもしたのだけど、本音をいってしまうと、どういうスケジュールで、何を処理しているのかがよくわからなかった。

 

残業42時間を越えたあと、先輩も少し業務に入ってはくれていたのだけど‥‥

結局マネージャーは時短の先輩優先だから、と4月からの意見を変え始めました

 

時短の方だし、別に良いんだけど、4月に正社員が減ってから自分の相棒?になる人がほしい?と言っていたり、私に仕事を教えなかったりと、正直好き嫌いで仕事しているイメージがある人だった。

 

マネージャーも納得し、始めは時短の先輩の処理から少しづつ入って、それから私のやっている業務が良いのではないかと意見をくれました‥‥。

 

もちろん私はすかさず「時短の先輩が引き続き業務をしている間は、先輩自身が持っている業務や私から渡している、急ぎの仕事はどうするんですか?」と聞きましたが、その話題についてはマネージャーが「できることは私もはいります(4月からそういっているがやらない)」と言われるだけでした。

 

時短の先輩が受け持っている仕事は、急ぎではないし、残業の内訳もよくわかってないのに‥‥、

と疑問を感じてしまった私はここで昔お世話になった先輩に片っ端から連絡。

 

こういう場合はどう対処するべきかダメもとで聞いてみました。

 

先輩は全員返信をくれたので、とてもありがたかったです。

本当に力になってくれた先輩には感謝しかない。

 

先輩たちの意見をまとめると

○嘱託の方が少し手が空いているのであれば、ためしに簡単な仕事を引き継いでみる

 →マネージャーに伝えるときは私が処理するより遅くなるというデメリットを前にださずに「業務時間を短縮できる」というメリットを強調する

 

ガントチャート(チーム全員の業務内容と所要時間の表)を作成し、マネージャー、元上司がいる前で今後どうしていくか会議の場を設ける
 →会議も議事録などをとる文化がないため言った、言わないになりがちなので複数人が見ているところで話し合いを行う

 

○急ぎの仕事でないところは思いきって次の日の処理にまわす
 →人が足りなくて厳しすぎるから、思いきって売り上げに大きく関係してこない部分は次営業日に処理をまわす。ミスがあっても会社の責任になるからすべて完璧に処理できなくても良いはず

 

先輩さすが~。

 

基礎的なことだけど、確かに今年度から注意してくれる人がいなくなって基礎すらおろそかになっていたかも。

 

自分のできていないことが明確になり、上記の2つを実行に移してみました。

3つ目はマネージャーとの関係がさらに悪化してもっと仕事がやりづらくなりそうなので実行は難しいかな、と思ったので行動には移さず。

 

●マネージャーに伝えるときは私が処理するより遅くなるというデメリットを前にださずに「業務時間を短縮できる」というメリットを強調する

 

→発展させるとマネージャー、経験年数が自分より長い先輩に何か提案するときは、伝え方に気を付けることが大事なのかも。

 

そもそもコミュニケーション能力には自信がない。先輩の教えてくれた、デメリットよりメリットを強調するという言い方を覚えるのも大切だけど、それだけだと会議の際にボロが出てしまうかもしれない。

 

なにせ私はマネージャーもチームのメンバー(正社員)も結構苦手だから‥‥(;´д`)

 

そう思い、気が引き締まった私は話し方が9割を付け焼き刃で会議前に「話し方が9割」を流し読み。

 

なによりも話す際は

 

●自己肯定感が大事。自分の能力や個性を貶めない

●人が話すときはあいづちをきちんと打つ

●でも、だってという否定はなるべく押さえる

という自分にも実行できそうな3点を慌てて暗記。

 

ガントチャート(チーム全員の業務内容と所要時間の表)を作成し、マネージャー、元上司がいる前で今後どうしていくか会議の場を設ける

 

→とりあえず会議資料は作成したことがないから、チャレンジで作成してみよう。

 

会議前には資料用に、過去のチームリーダーが作成したガントチャートを更新し、全員分プリントアウト。

嘱託を含むチーム全員の受け持っている業務を表に一覧にし、先輩に言われた通りそれぞれの所要時間をまとめました。

 

そして当日。

マネージャー、元上司、正社員のおじさん、時短の先輩を呼び、資料を配布して会議を開きました。

 

マネージャーは、私の作成した資料にはほぼ目を通してくれませんでした。

 

さらに、時短の先輩の意見は変わらず、時短の先輩が引き継ぎ業務を進めている間は私一人で急ぎの仕事を一人で進めるように言われました。

 

もうダメだ\(^o^)/

 

心が折れそうになりながら急ぎの仕事が終わらなかった場合はどうしますか?と聞いたところ、マネージャーと正社員のおじさんがしぶしぶ一部の業務を引き受ける旨を正社員と元上司の前で了承した(まあ誓わせたに近い)のでそこだけが収穫があった‥‥と言える気がする。

 

正社員と元上司の前で約束した以上はマネージャーも正社員のおじさんもこれ以上言い逃れはできないし、それでも業務に入らなければ信頼を失うでしょ。とは思った。

 

結局あまり収穫がなかったのだけど、勉強になったから今となっては良いかな、と思う。

まあ会議の日の仕事は終わらず置いて帰ったけどね。

 

そしていよいよ異動してきた方が私たちの業務に入る日にちが近づき、それに伴い席替えをすることに。

普通に進めば良いのだけど、今度は席替えをいつするかでマネージャーと元上司が揉め始めました。


まじでいつでもよくね?(゚Д゚;)

 

驚き、呆れる気持ちでいっぱいでした。

 

このくらいからマネージャーと元上司の関係がぎすぎすしていたのです。

元上司がマネージャーにたいしてきちんとマネジメントしていないことを再三注意していましたが、改善されず、マネージャー自身もプライドが高いのか注意をされてイライラしていました。

 

席替えの日にちは、土曜に突然マネージャーから指示をされました。マネージャーは休暇だったのですが、別の正社員の方から伝言という形で連絡がきました。

日曜日にマネージャーがパソコンなどの機材を動かすので、土曜中に席の荷物をまとめておくようにとのことでした。

 

土曜は、少ない人数で平日と同じ量処理しなければならず、さらに17時半から19時まで電話当番で残業することになっていた日でした。

 

なんでこんなタイミングでやるの?

新入社員とかで仕事が少ないならまだ分かる。

 

でももう5年同じ仕事しているし、1人分の仕事は確実に処理できてる。

さらにそれにプラスして中堅社員に近いことさせておいて適応障害にさせて、わざわざ一番業務多い日に急ぎじゃない席替え優先するってどういう意図?

 

もしかして、先月残業時間が42時間を超えたから、

マネージャーからいびられてる…?(゚Д゚;)

 

一緒に出勤していた正社員のおじさんに一応今日席替えになりましたと伝えましたが、もちろん特段なにか多く処理してくれることもありませんでした。

 

一緒に働いていた嘱託の方のなかには、できることはないけれど、さすがにマネージャーからの嫌がらせなのではないかと教えてくれる方もいました。

 

さらに、その日は元上司が出勤でした。

元上司は席替えを手伝うと言いましたが、

 

ぶっちゃけ手伝うってなにを手伝うの?(;´д`)

 

元上司は荷物の移動は月曜でも良いと言いましたが、結局マネージャーが怖くて?何も言いたくないから、私が席替えも電話当番もやってほしいという雰囲気でした。

 

それは手伝うって言うのか・・?

 

会社に嫌気がさして電話当番を無視し、(代わりも探さない)自席の荷物をまとめました。

 

私やばいやつだなー。

次の会社ではやらないようにしなきゃいけないよね^^;

 

そして極めつけに、元上司(結局席替えも電話当番も手伝わない)から、今日も一緒に帰ろうと言われました。

 

一応自席の荷物をまとめてからは電話当番に入っていたので、時間内にきちんと終わるわけがない。

 

ぶっちゃけ困る‥‥。

 

しかも、元上司は少しでも待たせると不機嫌になってしまう。

でも仕事が残ってる・・・。

 

最終的に荷物をまとめ終え、電話当番の残りはマネージャーに押し付け(もうよくね?)、なんとか仕事を終えて元上司とまた一緒に帰ることに‥‥。

 

席の件を気にかけていたようですが、また帰りの電車で会社の噂話をされ、またいやな気分でした。

 

そしてようやく席替えも終わり、私、新しく異動してきた方、時短の先輩で横並びで仕事をすることになりました。

 

そして先輩が新しく異動してきた方に仕事を教え始めたのですが‥‥

 

結局会議通り引き継ぎの間は私がその日中の仕事を中心に処理し、先輩は急ぎでない仕事を異動してきた方に引き継ぎ始めました。

とはいえ、先輩は時短ですし、いない時間や他の仕事がないときは異動してきた方は手があきます。

 

だめもとで私の方の仕事が急ぎであることを説明し、先輩がいない間に私の仕事の資料などを渡したのですが、

異動してきた方にも「できないです」と言われてしまいました。


なんか‥‥もういいや。

疲れはてて後ろの島(同じ部署だけど、主な業務は電話受付。上司は私のマネージャー)に目をやりました。

 

すると、電話受付の主担当である先輩(30歳くらいの女性)が、電話を取らずにうちの会社のサービスの申込書を封筒にいれていました。

それも、先輩、他の正社員1名、嘱託社員1名の3人で‥‥。

 

てか電話取らないでなにやってる?

 

しかも、他の正社員1名と、嘱託社員の方はやりたくてやっているというより、いやいややっている・・・ように見えた。


紙を封筒にいれる仕事は正社員なくてもできるし、なんなら業務わからない人でもできる。他に手が空いている嘱託の方でも良いし、正直外注できるならした方が良い。

 

ただ私のマネージャーはそれを全くせず、電話が鳴り響いているのにその業務を優先して行っているこの環境を黙認していたのです。


しかもその先輩、私と基本給同じ。

 

これを見たときに、この先この部署から異動したとしても仕事を断ることが苦手な人に業務が集中する状況は変わらない可能性が高いと感じました。

 

もう、いいや。もうこの会社で学ぶことはない。

 

いやな気持ちになりながらも仕事を残して帰り、いつもの友人たちに相談。

 

友人たちは

●もし仕事を頑張りたいとしても、もっときちんと評価してくれる組織で頑張ったって良い

●管理職がマネジメントしない組織は正直まともではない(確かに)

●大事に扱われていないし、この先続けたいと思っていないのであれば、今週中に会社から離れてみたら?

と言ってくれました。


なんだか背中を押してもらえたような気がして、「病院で診断書をもらって、次の日に提出する」とやっと決意できました。

 

最終的に、通っていた心療内科適応障害の診断書を書いてもらい、次の日の朝9時頃にマネージャーに提出しました

そして、「明日から休職させて頂きます」と伝えました。

 

その後、直接人事へ行き、休職、復帰の際の流れ、そして傷病手当金についてのおおまかな説明を受けました。

 

本当はそれだけで帰りたかったのですが、自分で抱えていた仕事があったため、それだけ片付け、その日は結局定時に退社しました。

 

そして12/24から有休消化し、1/16から待機期間を経て現在休職2週間目です。

 


今もそうなのだけど、仕事のことを考えすぎて、大事な決断ができなくなっていたなあ。

そんな風になるまで、やらなければいけない仕事なんかない。


と回復してきた今でも思います。


辛かったし、私的には耐えて耐えて耐え抜いて4月から12月まで走り抜いたので、なにも後悔がありません。

社会復帰できなかったらどうしようという不安はぬぐえないけれど。

やっぱり少しでも自分らしくいられる職場に次は行けたらいいな、と思います。


今回のことで思ったのは、やっぱり自分は自分。

 

周りからどんなに叱られ、否定されても自分でない人間として生きていくことはできないのだと思いました。

 

私が私だからこのパワハラだらけの会社で我慢できなかった。

私が私だから訳のわからないマネージャーに従うことができなかった。

訳のわからない、与えられた仕事すらしない、それについてなぜできないのか説明する機会すら避ける先輩を助けたいと思えなかった。

 

というか、もう少し自分のやりたいことしたい。

 

彼氏と同棲したいし、ダイエットだってしたいし、おしゃれしたいし、将来不安になりそうだからなにかしら自己研鑽したい。

 

何がしたいとかわからないけど、現状維持したいというより、もう一段階上に上がりたい。

 

上というか、自分の理想の将来に向かっていきたい。

 

理想の将来がなにかまではきちんと決まっていないけれど、今みたいにクリスマスにすっぴんでデートするのはもう嫌だし、事務やるにしても総務人事とか方向性そろそろ決めたい。

 

20代の間に少し一念発起して難しい資格挑戦したいし、最低限家事だってしたいし。

アロマだってやりたいし、ゲームだってしたいし、動画みたいし、タロット(?)もやってやるわ。

 

もう頭くる。

在宅勤務でホットクックを駆使しながら家事と仕事効率的にやりたいし、東京人すごいから通勤だってしたくない。

 

職場の人間関係に悩まされて病みたくなんかない。嫌いな人とはできるだけ距離置きたいし。

 

たまには長期休暇取りたいし。もう、少しで良いの。

2年間ほぼ取れなかったし、とればとるほど自分の仕事が溜まりまくってストレス爆発する環境にいたから。

 

仕事のやりがいはもちろん大事なのだけど、できたら注意とかもチャットとかメールでしてくれたら後で見返すことができるし、仕事が落ち着いてから自分のペースで見れるからありがたいなあ。

 

あと、誰の目も気にせず自由にだらだら仕事してみたい。だって憧れなんだもん。


もちろん全く人との関わりがないのも飽きるかもだけど‥‥。

とりあえず年収はこだわらないので、それが良いかな。もう派遣でも良いや。と思っている。

 

もし働いている職場がこんな環境になったら、あなたならどうしますか?

 

何か思うことがありましたらTwitterのリプや、はてなブログのコメントなどで教えていただけたら嬉しいです。

 

今後の参考にさせて頂きます!

 

久しぶりの更新になりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます!

適応障害半年治療中の私が症状を改善させるためにやって良かったこと

 

目が覚めた瞬間に1日が始まったことに絶望する。

 

体が重くて動かないけれど、なんとかして起き上がる。

でも仕事終わりの時間や休みの日、考え事をしていると1日が終わってしまう。

 

こんな経験、ありませんか?

 

私はあります。

 

私は4月から上記の状態が続き、現在適応障害の治療中です。

 

しかし現在、診断された4月よりも回復し、ブログを更新できるまでになりました。

 

今回は、適応障害を改善させるためにやってみて良かったことをご紹介します。

 

◆目次◆
適応障害半年治療中の私が症状を改善させるためにやってみて良かったこと

 

 

上司に相談

 

まずは上司に相談するのが1番大切です。

 

でも

 

そんなんできたらもう言ってるよ!(# ゚Д゚)

 

どうしても言い出しづらい(´;ω;`)

 

って思いますよね。

 

気持ちは痛いほど分かります。

言えたら体調なんて崩しませんよね。

 

どうしても言い出しづらいという方は、とにかく仕事を断り、さらに気軽に相談できる相手に経て相談してみましょう。

 

仕事を断る方が難しい場合は、先に次の項目の気軽に相談できる相手に相談する方法を試してみてください。

 

ご自身のやりやすい方から取り組んでみましょう。

 

とにかく仕事を断る

 

仕事が集中する人は、とにかく仕事を引き受けすぎです。

 

弱っているときに業務量を増やし、さらに上司に相談できる精神的余裕を保つことは今のあなたには困難です。

 

そういうときは、とことん断りましょう

 

急ぎでない仕事、他の人でもできる仕事であれば思い切り断ってみてください。

確実にお断りし、仕事を減らしましょう。難しければ気軽に話せる人に相談する方法から試してみてください。

 

私はこれがなかなかできず、4月から適応障害になってしまいました。

体調不良を引き起こす前に、勇気を出してお断りしてみましょう。

 

気軽に話せる人(同僚、同期)に話してみる

 

 

仕事をお断りし、精神的余裕を保てるようになったら、職場で気軽に話せる人に相談してみましょう。

 

業務量の見直し自体は上長にしかできない業務なので、直接的な解決にはなりません。

 

しかし、今のあなたは上司に直接仕事を減らしてほしいと伝えることは、難しすぎる状態です。

 

したがって、小さい目標を立てて少しずつ相談する恐怖に立ち向かっていきましょう。

 

試しに、職場の親しくて安心できる人に、「少し大変」と話してみましょう。

 

 

上司に報告する際の良い練習になりますし、精神的に楽になったり、その上司の特徴、性格などの情報を手に入れられる可能性があります。

 

ここで注意するべきなのは、悪い情報は鵜吞みにしすぎないことです。

弱っているとき悪い情報を鵜吞みにすると、さらに報告しづらいと思わさせてしまう可能性があります。

 

そして、上司に相談する心の余裕が生まれたら、勇気をもって業務量が多すぎる旨を報告してみましょう。

 

②相談後の仕事の見直し

 

 

①で上司に相談し、業務量を減らしてもらった後の工程です。

 

具体的にどのくらい業務量が減ったのかきちんと確認しましょう。

 

業務が減った分、違う仕事を無意識に引き受けていないか必ず確認してください

 

可能であれば同じ部署の担当者が1日にどのくらいの難易度の仕事を、どのくらいの量処理しているかも確認してみましょう。

 

業務量が増えてしまった際は、また①の項目に戻り、上司に相談が必要があります。

 

私はここの見直しの部分が甘く、相談後業務量が増え、毎日腹痛がするようになってしまいました。

 

 

③趣味の充実

 

①、②が済み、余裕が生まれたら精神的に弱る前、楽しめていた趣味を充実させてみましょう。

 

私の趣味は韓国ドラマ鑑賞、読書、ブログでした。

 

3月から上記全てに興味が湧かず、何も楽しめていませんでした。

 

韓国ドラマは1話1時間程度。

なかなかまとまった時間が取れなかったため、先に読書を再開しました。

 

無理矢理読む気力を引き起こし、同じ境遇に陥った方漫画や、精神的医の先生が書いた本を中心に読み始めました。

 

中でも読みやすく、救われたのがこの本です。

 

「がんばらなくても死なない」。

www.amazon.co.jp

 

会社員経験を経てイギリス留学し、現在漫画家兼イラストレーターである竹内綾香さんの漫画です。

 

この中に、他人と自分を比べ、悩んだ挙句「私の人生なんだから私の好きにすればいいや」と思った経験が書かれていました。

 

 

 

これを読んだとき、

 

私の人生なんだから、私の好きなように生きても良いのではないか?

 

私の人生なのにどうして体調を崩すくらい他人のために苦しんだり悩んだり、頑張ったりしなきゃいけないのかな?

 

と気づくことができました。

 

数か月ぶりに自分の本心が聞こえてきたようで、肩の荷が下りたみたいに気持ちが楽になった一言です。

 

さらに、久しぶりに読書をしようにも、人間関係、メンタル面について書かれたビジネス本以外何を読めば良いかわからない状態が数週間程度続いていました。

 

そんななか、この本の中に

 

 

 

「好きなことでも長いこと離れてしまうとそれを楽しむ力が弱まってしまう」から、「好きなことをおろそかにせずに意識して大切にする」ことが大事

 

と書いてありました。

 

そこで、これから植物に水をやるように好きなことを意識して大事にすれば、きっとまた趣味を楽しめるようになるんだ、と前向きな気持ちになれました。

 

その後も、精神的に辛い状態でも積極的に友人が教えてくれた小説や、認知行動療法の本を読みました。

 

すると自然と見たかった韓国ドラマが見つかりはじめ、読みたかった本が見つかり、気づけば気ままにブログを書いている自分がいました。

 

 

おまけ 源泉徴収票の確認と転職サイト閲覧

 

趣味が楽しめるくらい回復してきたので源泉徴収票と最新の給与明細を出し、1年ごとにどのくらい昇格し、年収が増えたか確認しました。

 

そのうえで転職サイトで同じくらいの年収の求人を調べてみました。

 

すると、同じくらいの給与の会社でも評価制度や休日、休暇の体制が違ったり、福利厚生なども様々であることがわかりました。

 

別に働くなら他の会社でもよくない?

同じくらいの給与の会社が受かるかは知らないけど。

 

転職するかは私自身が決めて良いことなんだよなあ。

 

当たり前なのに、どうしてそんなこと忘れていたんだろうと自分でも不思議です。

 

別の選択肢を検討できるくらい、回復してきたのかな。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

【適応障害になってしまいました\(^o^)/】適応障害を経験して最も辛かったこと

お久しぶりです。

 

半年以上ぶりのブログ更新です。


4月に診療内科で適応障害と診断され、ブログの更新をお休みしていました(´;ω;`)


この間DMをくださった方、返信できず大変すみません。

頂いたメッセージは全て確認しております。

メッセージ、ありがとうございます。

 

実は副業を始めた3月から本業の会社員との両立が難しく、悩んでいるうちに不眠症気味になっておりました。

さらに、会社の業務も上手くいかず、さらに精神的に負担が増えてしまいました。

次第に休みの日も家にこもりがちになり、なかなか回復しなかったため適応障害の治療に専念させて頂いておりました。

 

ちなみに副業は現在は辞め、会社には休職せず通えています。

 

3月から半年以上たち、時間の経過とともに精神的な負担が減ってきたため、今回ブログを再開させて頂きました。

 

以下、約半年間適応障害の治療をしてきて辛かったこと2点を書いていきます。

 

◆この記事のまとめ◆
適応障害になって最も辛かったことは、
①自分の気持ちがわからなくなってしまうこと
②自分に合う病院を探し、2週間に1度通い続けなければならないこと

 

 適応障害ってなに?


適応障害とは、

ある特定の状況や出来事(転勤、配転、新しい人間関係など)が、その人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたい感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。

適応障害|病気解説|医療法人 池澤クリニック|心療内科・精神科・内科

言葉で説明すると上記のように定義されているようです。

 

私は抑うつ、不安感に加え、不眠、背中の神経痛になってしまいました。

9月頭からは腸炎にもなってしまい、現在治療中です。

 

 適応障害になると何が辛い?

 

適応障害になって辛かったのは、以下2つです。

 

①自分の気持ちがわからなくなってしまうこと
②自分に合う病院を探し、2週間に1度通院し続けなければならないこと

 

もちろん上記に記載した不眠も辛いし、それに伴ってくる背中の神経痛、腹痛も辛い。

でも一番は上記の2点です。

 

①自分の気持ちがわからなくなってしまうこと

 

適応障害になってから1番辛かった点です。

眠れず疲れが取れない。

頭が回らず自分でも自分が今なにをしたいと思っているのか、今後どうなっていきたいのかが考えられなくなってしまいました。

加えて毎日他人の意見に振り回されてることが以前より増えました。

 

さらに、私の場合はきちんと休息をとらなかったため、ストレスの原因を遠ざける方法を考えることすらもできなくなるまで追い詰められてしまいました。

 

 

②自分に合う病院を探し、2週間に1度通院し続けなければならないこと

 

心療内科は、基本的に2週間に1度のペースで通院が必要になるため、弱っている状態で仕事を続けながら通院するのが大変でした。


特に私の仕事はシフト制なので月ごとに休みの日が変わります。

土曜日と日曜出勤がある週もあるため、決まった曜日に通院することができなかったのです。
仕事終わりや平日休み、土曜などバラバラの曜日で通える病院を探すの大変でした。


加えて、主治医との相性も重要です。
最初はゆうメンタルクリニック 新宿院に通っていました。
平日夜も診察しており、ネット予約できるため確実に通院できる点はよかったです。

 

しかし、毎回主治医が変わる点、処方する薬の詳しい説明が全くないという点、家から少し離れているという3つの理由から別のところに通院することにしました。

 

優しく話を聞いてくれる先生もいれば、薬を容量を守らず服用しているのではないかと疑ってくる先生もいて、困惑しました。

さらに、処方する薬の注意点や服用方法についてもこちらから聞かない限り説明が全くありませんでした。

 

服用時の注意点を全くわかっておらず、睡眠薬を飲みながらアルコールを摂取してしまい、人と話している際に突然泣き出してしまうことがありました。
さらに、処方された2種類の薬を同じ時間に飲んでしまい、朝起きられず会社を遅刻することも複数回ありました。

 

実際に通ってみると、働きながら2週間に1度はかなり手間がかかります。
心療内科は込み合っているところが多く、待ち時間が長いです。
病院のあと薬をもらいに行き、家につく頃にはもうへとへとでした。

この経験から、私は通う病院は絶対に家から近い方が良いと思いました。

 

現在は地元の別の心療内科に通って治療中です。
LINE予約できるので日時変更の際の精神的負担や、会社の休憩時間を削ることもありません。
主治医も変わらず同じ先生が見てくれるので薬の説明など心配なことは以前より相談しやすいです。
会社終わりにも行けるので以前より安心して通えています。

 

探すのは手間でしたが、今では確実に通える病院を見つけられて良かったと思っています。

 

どうして適応障害になってしまったのか?

 

3月までは、本業で受け持っていた業務量が増え、副業との両立に悩んでいたのが原因です。4月からは、任される仕事が難しく、悩んでいたことが原因です。

 

適応障害になってしまった経緯を仕事、プライベート面の2つに分けて時系列順に説明していきます。

 

 3月 仕事

 

3月は、3つの理由で悩んでいました。

①自身の担当している業務量の増加

②副業

③引継ぎ担当の仕事を貰う流れになった


①業務量の増加

本業で担当していた業務の進め方が頻繁に変わるようになりました。(わかりづらいので以下業務Aとします)

2週間に一度進め方が変わるので、先方担当者に逐一確認しながら作業することになりました。

いちいち確認してから対応するので処理の時間が膨大に増え、他に受け持っていた仕事との両立に悩まさせるようになりました。

 

②副業

さらに、この期間副業もしていたので、同時に副業の締め切りにも追われていました。
副業は3月から2ヶ月間の間の契約でした。始めての副業でした。

 

本業と違って明確な締め切りがあり、本業との両立に悩まされていました。

こちらは体調不良になったことを相談し、4月以降はお断りしました。

 

③引継ぎ担当の仕事を貰う流れになった

①②の期間、さらに本業の業務で問題が発生。

①の業務Aとはまた別なので、こちらを以下業務Bとします。

 

私が在籍する部署の人員が少ないため他部署から応援として一人人員が追加されました。
その人に業務Bを引き継ぐために、引き継ぎ担当の方の仕事をさらにもらっていました。

最終的には、

①は私が持っている仕事を他の人に引き継ぐことになり、

②は契約終了されたので完全に解決しました。

③で追加された方は応援でなく正式に私の部署に配属になりました。

 

そこまでは良かった。

会社はきちんと対応してくれたと感じています。

①②③で終われば良かったのですが、その後さらに環境が悪化していきました。

 

 3月 プライベート

 

3月半ばまでは先行き不安ななかでも有休が取れていたので旅行に行ったり、遊びに行くことができていました。
副業の締め切りに終われながらも問題なく取り組めていました。
しかし、半ばをすぎると次第に心の余裕がなくなり、予定がない日は家に閉じこもって寝たきりの日が増えていました。

 

 4月・5月・6月 仕事

 

3月に上司に言われた通り業務Aを別の部署の先輩に引継ぎ始めました。

しかし、それと同時に人事異動の関係で3人社員が減り、新しく2人人員が増えました。

したがって、ベテランの先輩と一緒にその2人に業務Bを引き継ぎ始めました。

 

そう。この時点で3人のOJTに私が携わることになっていたのです。

いや、無理だろ。そりゃ病むわ\(^o^)/

 

業務Aは6月頃には完全に引継ぎが終了し、私の手から離れました。

しかし、問題は業務Bでした。

 

業務Bの引き継ぎ先の方2人は変わった方でした。

問題点は以下の6点です。

業務Bの後任2人の問題点
①仕事の覚えが遅く、何度教えても正しく処理できるようにならない
②自分のミスを見直し、きちんと訂正しない
③有休や病欠が多い(営業日20日に対して3日以上の月が複数回ある)
④残業をしたくないようで、仕事を断られる(直接担当者からお願いされ、引き受けるも「明日いるならやってください」と私に依頼される)
⑤仕事をお願いしても、処理されずそのままになっている
⑥①~⑤に至ってしまう理由や状況を一緒に仕事をしている人に説明できず、私では対処のしようがない

 

上記6点がなかなか改善されず、仕事を依頼できない状況が続きました。

 

4月・5月・6月 日常生活

 

4月から6月までは、心療内科に2週間に1回通院するようになり、薬局に睡眠薬をもらいに行くことができました。予定のない日は、変わらず家で何もせず寝ていました。

その他彼氏や友人と遊びに行けていました。

しかしこの頃から遊びに行く際の身支度がいつも以上に面倒に感じるようになり、自分でも違和感を感じていました。

 

ドラッグストアにはなんとか行けるものの、徒歩15分以上歩くスーパーへ向かう気力が起こらなくなり、食料は全てコンビニで購入するようになりました。

 

7月・8月・9月 仕事

 

引き続き業務Bの引き継ぎ相手の①~⑥の点は改善されず、そのままの状態が続きました。

上司には報告したものの、2人に仕事を振るようにとのことでした。

2人の問題に具体的な解決策を思いつくことができないまま、異動した方の業務に入った方が良いかと思い、さらに仕事を増やす決断をしてしまいました。

今思えばそんなに増やしたら業務量的にできないのに、なんでそんなこと思ってしまったんだろう(´;ω;`)

 

7月・8月・9月 日常生活

 

7月前半までは通院と薬局に薬を貰いに行けました。

しかし、7月中旬から8月末はさらに悪化し、病院や薬局に行けなくなりました。

心療内科は2週間に1度睡眠薬をもらいに行かなくてはいけなかったのですが、業務がさらに増え、その精神的ストレスで通えないことが増えていきました。

 

加えて現在9月頭から中旬にかけて、毎日腹痛がするので心療内科に加えて内科に通院し始めました。
腹痛は薬を服用しながら現在次第に回復してきています。

 

 仕事面で最も辛かった点

 

いろいろ書きましたが、仕事面で辛かったのは以下の2点です。

 

●業務Bの引き継ぎ(人材育成)業務の成果が目に見えづらかったこと

●自分と他人の境界線が曖昧になってしまい、相手に原因があるのに私自身を責めてしまったこと

 

 
業務Bの引き継ぎ(人材育成)業務の成果が目に見えづらかったこと

 

人材育成が目に見える成果がなかなか出ないのは知っていました。

でも半年経った今でも成果が出ていない、さらにこれから成果が出る可能性が限りなく低い仕事を頑張り続けるのって、こんなに辛いんだね。
もう少し2人が①~⑥を改善しようとしているのが感じられたらもう少し楽になるのに( ノД`)…

 

自分と他人の境界線が曖昧になってしまい、相手に原因があるのに私自身を責めてしまったこと

 

業務Bの引継ぎ相手である2人は、自分と他人の境界線を簡単に飛び越えてくるのもつらかったです。


あたかも自分の仕事を他人がやって当然ですという態度で接してくるように思えてしまう。

元気な状態なら「もともと相手の仕事だから、断ってもいいんだ」と冷静に判断できる。

でもよく眠れていない状態だと冷静な判断ができず、「自分に原因があるのではないか」と思ってしまうのです。

こんな感じで、断りづらいから仕事を引き受ける毎日が続いています。

 

断りづらいって、本当に辛い。

だって、やりたくないのにやらされている状態に陥ってしまうから
自分も精神的に弱っていて、自分がやりたいのか、やりたくないのか、やりたくてやるべきなのか、やりたくないけれどやらなければいけないのか、どこに当てはまるのかわからない。
けど、受けなければならない。


「もう仕事を引き受けたくない」「どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの」という声が自分に敬意を払わない相手、環境にかき消されてしまう。

 

だから、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうことが、適応障害の一番辛いことなんじゃないかな、と思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

【バチェラーレート】1をつけるのはやめなさい

どうして、1をつけるのか。


胸に手を置いて考えてみてほしい。

f:id:momokoara0402:20220225081655j:plain

ゆっくり、深呼吸

 

これは、複数の項目に1をつけようと思っている人間に向けて書いている。


低評価をつけることは、あなたの恋人探しに、人生に必要なことだろうか。

二度と会わないから、どんな罵倒をしても良いのか。


もう1度落ち着いて考えて、どうしても許せない部分のみ、1にするのは駄目だろうか。


マッチングサービス、バチェラーデートでは、デート後、相手を評価する仕組みになっている。

容姿、内面など、複数の項目で相手を評価する。
後日、「レート」という2名の評価を平均した結果が返ってくる。

詳しくはこちら。

momokoara0402.hatenablog.com


結果を見るのは確かに面白かったが、低評価をつけられたときはかなり落ち込んだし、どうしてこんな評価をつけられるのだろうと悲しくなった。

確かに現実は厳しく、自分磨きは必要かもしれない。

でも、今思ってみれば単に自分と価値観が全く合わない人からの評価であったし、あんなふうに落ち込んで自己嫌悪に陥ることなどなかった。

ネットの出会いだって、現実の出会いのように最低限のマナーは守られていてほしい。

いろんな人が、気持ちよく、納得のいくように恋人探しができる環境が整ってほしいのだ。

別に、1項目1をつけるならいい。
人によっては「この人のこういう点が許せなかった」と憤りを感じることもあるだろう。

わたしにもそういう経験はある。


しかし、複数項目1をつけるのは相手を傷つけるだけなのではないか。


あなたの評価を見る人のことを、考えてほしい。

あなたの評価のせいで自分に自信を失い、出口の見えないトンネルで1人さまよい続ける相手の姿を想像してみてほしい。


人の欠点を見つけることは自分のためにならない。

相手を傷つけるだけだ。


そんなふうに人の悪いところばかり見ている人が、ほんとうに恋人を作れるのだろうかと疑問を抱かずにはいられない。


確かに低評価をつけることでAIが自分の好みを学習してくれるかもしれない。

 

でも、その評価を画面越しに見た相手は心に傷を負うはずだ。


自分が得するためなら他人を犠牲にしても許されるのだろうか。



これが仕事の話ならまだ許されると思う。

仕事にはお金という対価が支払われるからだ。

 

でも、今回はどうか。

もしあなたが男性であれば入会金と自分、相手のコーヒー代を支払っているかもしれない。


だとしても、1万円ちょっと支払ったからといって、あなたは人を罵倒する権利を得たのだろうか?

お金で人を罵倒する権利は得られない。


自分の評価はスマホを通して相手に必ず見られる。

そのときに、相手がどう感じるか、想像してみてほしい。

ずっとそれが心の傷になることだってある。


実は彼氏ができてからも全く自分に自信がもてなかった。

彼氏の容姿に関する些細なひとことに過剰に反応し、自分の価値がわからなくなっていた。


今は落ち着いたから、これを書けている。


1ばかりつけなくても自分次第で恋人はできる。

要望があるならコメント欄があるだろう。

コメント欄にできるだけ具体的に次はどんな人と出会いたいか書けば良い。

 

やみくもに1をつけたって恋人ができるわけではない。

 

時間を割いて会ってくれた人に責任転嫁するなんて、言語道断だ。


いろいろ書いたが会ったのに評価をつけてくれない人もいた。

まだ反応が返ってくるなら良い方かもしれない。


1をつけてくれた人がいるから、嫌なところばかりを評価してくる人と離れることができた。

 

むしろ私の良い部分を見つけてくれる人と一緒にいることができている。

しかしこの先も自分に自信を失い、立ち直れなくなってしまう人が出るはずだ。

 

だから、複数項目1をつける前に、1度思い止まってほしいのだ。

 

【ちょっと反省】クリスマスと、バレンタイン、ホワイトデーの話

実は、ホワイトデーには、プチサプライズがしたい


理由は付き合って1年目ののクリスマスもバレンタインも、ホワイトデーも1度きりだからだ。


恋人がいた期間が短い私は、イベントごとにすっかり疎くなってしまっていた。



「ねえ、なにされたら嬉しいの?」

素朴な疑問だった。

すると


サプライズでデートプランを組んで、自分を連れ回してほしい、と答えが返ってきた。


なにそれめっちゃ難しい。


「ええ‥!そうなの?バチェロレッテみたいだね?」と慌てながらも動揺を悟られないように返した。


バチェロレッテとは、Amazon Primeで限定配信されている婚活サバイバル番組だ。

これまでのバチェラーとは違い、1人の女性が複数人いる男性候補の中から自分にふさわしい一人を選ぶ。



バチェロレッテ福田萌子は、自分でデートプランを練り、男性を招待していた。


まさに、彼が求めているのはそういうことである。


別にわたしは男性にデートプランをすべて考えてほしいという願望はないが、彼は違う見たいだ。


とりあえず、いきなりデートプランをサプライズで考えるのは難易度が高すぎる。


今知っている限りではわたしたちの共通点は少ない。
時間だって丸一日、お金だってかかる。

移動手段も、正直電車ではあまりサプライズ感が出ない。
やるならわたしが車を運転すべきだろう。


少し考えた結果、小さなサプライズからしてみることにした。


小さいサプライズを繰り返し、様子を見ながら好みを探っていこうという魂胆である。


やるなら、直近はホワイトデーだ。


実は、今年のバレンタインは、チョコレートを渡さなかった。


わたしは「なんか買ってこようか」と聞いたが、「大変だろうからいいよ。チョコどっちでも良いし」と断ってきたので、外で一緒にチョコレートパフェを食べた。


食べたのはピエール マルコリーニ 銀座本店のチョコレートパフェだ。
1つ2000円。

f:id:momokoara0402:20220224072249j:image
当日、ピエールマルコリーニのカフェは行列ができていた。


ならびながら、きれいにディスプレイされたチョコレートを、彼はじっと見ていた。
たぶん、なにも考えてはいなかっただろう。


黙ってディスプレイをじっと見ているので、もう1度買って渡さなくて大丈夫かと聞いたが、かわらず「どっちでもいい」と返ってきただけだった。


ほんとうにどっちでも良いのだろうが、ロマンチックさには欠けるバレンタインだったかもしれない。



実は、クリスマスもサプライズ感ゼロのプレゼント交換になった。


というのも、相手が目の前にいる状態で好みを聞き、お互いほしいものを買うことにしたからである。


欲しいものが買えて嬉しくはあったが、やはりロマンチックさには欠けていた。


やっぱり最初のクリスマスくらい相手のことを考えてプレゼント交換すればよかった。

付き合って1年目のクリスマスも、バレンタインも、ホワイトデーも、誕生日も、1度しかないのだ。


ということで、次に来るホワイトデーは、一般的には貰う側だが、サプライズでお菓子を渡そうと思う。とりあえず食べ物なら当たり障りないはずだ。


全然自信はないし、失敗するのは嫌なのだけれど、後悔するよりはマシだろう。

【超癒された】1泊2日で草津温泉へ行ってきたよ

旅行に、行き先は重要だろうか。

わたしにとっては、別に重要ではない。


行き先よりも、日常と距離を置くために旅行がしたい。


少し離れたところから、自分自身を見つめ直すこと。

それは、わたし自身が幸せになるために必要不可欠なことだった。


手の届かないものだと思いつつ
やっとのことでつくり出したゆとりは
ふらりと出かけた旅先で、ようやくその光を発揮することもある。

もしかしたら旅で
やっと素直に自分を
見つめられるようになるのかもしれない。

すべての瞬間が君だった きらきら輝いていた僕たちの時間 | ハ・テワン, 呉 永雅 |本 | 通販 | Amazon「ささやかなゆとりをきみに」より一部引用


こんなことを思ったのは、久しぶりに旅行に行ってきたからである。

6年前に行った草津温泉

2月19日から20日、1泊2日の旅行で再び訪れた。

湯畑周辺の宿に宿泊した。
周りには飲食店やお土産屋、コンビニがあるので利便性は抜群だった。

f:id:momokoara0402:20220223114933j:plain

有名すぎる湯畑

f:id:momokoara0402:20220223114858j:plain

湯畑付近の湯滝

f:id:momokoara0402:20220223114918j:plain

湯畑周辺は、夜になるとライトアップされる

f:id:momokoara0402:20220223120426j:plain

夕飯は釜めしで有名な「いいやま亭」

いいやま亭 - 草津町その他/釜飯 | 食べログで注文したのは「鳥釜めし」。



旅行先は同じでも、わたしの目に飛び込んでくる風景は6年前と違って見えた。

6年前は湯畑周辺に宿泊しなかったから、いや、年をとったから新鮮に感じるのだろうか。

さらに、もう一度いきたいと思っていた西の河原温泉へ向かった。

f:id:momokoara0402:20220223114922j:plain

西の河原温泉へ向かう途中の川

西の河原温泉の看板を取り忘れてしまったので川の写真だけになってしまった。

温泉内は、携帯の持ち込みが禁止だ。

脱衣所の外に無料のコインロッカー、中に有料のコインロッカーが設置されている。

わざわざ脱衣所の中のロッカーを使う理由もないので、脱衣所に携帯は持ち込まなかった。

インターネットと隔離された空間で入る露天風呂は、格別だった。


雪が降り積もった山に囲まれた景色を見ながら、6年前のことを思い出していた。

以前は、中学校の同級生と訪れた。

さとちゃんは、今も元気にしているだろうか。

また遊ぼうといったきり、コロナもあって連絡すらしないままになっている。


思い出したのはそれだけではない。

Tinder ではじめてであった男性、1とも草津温泉の、なかでも西の河原温泉は最高だと話したことを思い出した。


あの頃は、1のように苦しいときに悩みを聞いてくれる男性と一緒になりたい、一緒になれたらどんなに幸せだろうと思っていた。

でも1がわたしの話を聞いてくれていたのは、わたしの体が目的であった。


それを知ったのは、1と知り合ってから1年半が経過したころであった。


1に幻想を抱いている間、苦しかった。

自分の信じるものが間違っているなんて、認めたくなかった。

ときが経つにつれて薄々気づいていたが、見てみぬふりをした。


でも今となっては、1との出会いがあったからこそ今の自分があると思う。


こんな風に昔を振り返ったり、今の幸せを噛み締めることができるのは、普段過ごしている日常と距離を置いているからだ。


最近のわたしは自分自身の生活と、うまく距離を置けていなかった。


日常から少し距離を置いて気づいたことがある。

幸せになるのは、そんなに難しいことではないということだ。


昔のわたしは、現在の自分に成し遂げられないことをしてこそ、幸せになれると思っていた。


自分に全然気のない男性を追いかけて、必死で努力してきれいになって、振り向いてもらうことがわたしの人生のすべてだと思っていた。

夢を見てこそ、人生に価値があると思っていた。
とにかく必死で努力することが、幸せに直結すると思っていた。


でも違った。

幸せは、努力の量に比例しない。
自分を幸せにする努力と、世の中が定めるステータスを満たす努力は完全に別物だ。


世の中が求めているステータスを満たす努力。
お金を稼ぐ努力、自分に好意を抱かない男性を振り向かせるための努力、「良い彼女だね」と言われるための努力。

その努力をすれば、世間の誰かが自分を認めてくれたり、羨ましがったりするかもしれないが、自分が幸せになれるとは限らない。


では、自分を幸せにする努力とは具体的になんなのか。


自分を幸せにする努力は、ただ単に家に引き込もって「やりたいこと探し」をすることだろうか。

いや、それだけではない。


「自分を見つめ直すために、非日常の中に身を置くこと」ことも、自分自身を幸せにするために必要な手段のひとつなのではないか。

f:id:momokoara0402:20220223120435j:plain

お昼は和牛ビストロ三國屋で、肉寿司と鴨せいろ蕎麦を

和牛ビストロ 三國家 - 草津町その他/ビストロ | 食べログは、蕎麦で有名な三國屋の隣に併設されているお店。三國屋と同じお蕎麦が食べられる。

f:id:momokoara0402:20220223120433j:plain

かわいいプリンを立ち食いして

草津温泉プリン - 草津町その他/スイーツ(その他) | 食べログで、映えるプリンをゲット。

f:id:momokoara0402:20220223120429j:plain

素敵なカフェではちみつミルクティーを注文

カフェは、草津温泉 TEA ROOM ゆきうさぎという温泉街にあるとは思えないくらいかわいいカフェで最後にお茶。


振り返ってみると、旅行に行く前のわたしは時間さえあれば恋愛、ブログ、韓国ドラマのことばかり考えていた。


それが日常と化していたが、行き詰まりを感じていた。
だから、少し距離を置きたかったみたいだ。


離れないと、見えてこないものもある。


その事実に気づけたから、今回の旅行はわたしにとって「新しいものの見方」「考え方」を与えてくれる旅であったと思う。

真の発見の旅とは、新たな風景を探すことにあるのではなく、新たな目を持つことなのだ

私が望むことを私もわからないとき - 見失った自分を探し出す人生の文章 - | チョン・スンファン, 小笠原 藤子 |本 | 通販 | Amazon
「日常を抜け出してこそ真の旅行」より一部引用

 

旅行では、日常と距離を置くことが一番大切だ。

コロナ禍で、手軽に日常と距離を置く方法があれば良いのだが、なかなか難しい。


なにか良い方法はないものかとつい考えてしまう。