僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

【適応障害になってしまいました\(^o^)/】適応障害を経験して最も辛かったこと

お久しぶりです。

 

半年以上ぶりのブログ更新です。


4月に診療内科で適応障害と診断され、ブログの更新をお休みしていました(´;ω;`)


この間DMをくださった方、返信できず大変すみません。

頂いたメッセージは全て確認しております。

メッセージ、ありがとうございます。

 

実は副業を始めた3月から本業の会社員との両立が難しく、悩んでいるうちに不眠症気味になっておりました。

さらに、会社の業務も上手くいかず、さらに精神的に負担が増えてしまいました。

次第に休みの日も家にこもりがちになり、なかなか回復しなかったため適応障害の治療に専念させて頂いておりました。

 

ちなみに副業は現在は辞め、会社には休職せず通えています。

 

3月から半年以上たち、時間の経過とともに精神的な負担が減ってきたため、今回ブログを再開させて頂きました。

 

以下、約半年間適応障害の治療をしてきて辛かったこと2点を書いていきます。

 

◆この記事のまとめ◆
適応障害になって最も辛かったことは、
①自分の気持ちがわからなくなってしまうこと
②自分に合う病院を探し、2週間に1度通い続けなければならないこと

 

 適応障害ってなに?


適応障害とは、

ある特定の状況や出来事(転勤、配転、新しい人間関係など)が、その人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたい感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。

適応障害|病気解説|医療法人 池澤クリニック|心療内科・精神科・内科

言葉で説明すると上記のように定義されているようです。

 

私は抑うつ、不安感に加え、不眠、背中の神経痛になってしまいました。

9月頭からは腸炎にもなってしまい、現在治療中です。

 

 適応障害になると何が辛い?

 

適応障害になって辛かったのは、以下2つです。

 

①自分の気持ちがわからなくなってしまうこと
②自分に合う病院を探し、2週間に1度通院し続けなければならないこと

 

もちろん上記に記載した不眠も辛いし、それに伴ってくる背中の神経痛、腹痛も辛い。

でも一番は上記の2点です。

 

①自分の気持ちがわからなくなってしまうこと

 

適応障害になってから1番辛かった点です。

眠れず疲れが取れない。

頭が回らず自分でも自分が今なにをしたいと思っているのか、今後どうなっていきたいのかが考えられなくなってしまいました。

加えて毎日他人の意見に振り回されてることが以前より増えました。

 

さらに、私の場合はきちんと休息をとらなかったため、ストレスの原因を遠ざける方法を考えることすらもできなくなるまで追い詰められてしまいました。

 

 

②自分に合う病院を探し、2週間に1度通院し続けなければならないこと

 

心療内科は、基本的に2週間に1度のペースで通院が必要になるため、弱っている状態で仕事を続けながら通院するのが大変でした。


特に私の仕事はシフト制なので月ごとに休みの日が変わります。

土曜日と日曜出勤がある週もあるため、決まった曜日に通院することができなかったのです。
仕事終わりや平日休み、土曜などバラバラの曜日で通える病院を探すの大変でした。


加えて、主治医との相性も重要です。
最初はゆうメンタルクリニック 新宿院に通っていました。
平日夜も診察しており、ネット予約できるため確実に通院できる点はよかったです。

 

しかし、毎回主治医が変わる点、処方する薬の詳しい説明が全くないという点、家から少し離れているという3つの理由から別のところに通院することにしました。

 

優しく話を聞いてくれる先生もいれば、薬を容量を守らず服用しているのではないかと疑ってくる先生もいて、困惑しました。

さらに、処方する薬の注意点や服用方法についてもこちらから聞かない限り説明が全くありませんでした。

 

服用時の注意点を全くわかっておらず、睡眠薬を飲みながらアルコールを摂取してしまい、人と話している際に突然泣き出してしまうことがありました。
さらに、処方された2種類の薬を同じ時間に飲んでしまい、朝起きられず会社を遅刻することも複数回ありました。

 

実際に通ってみると、働きながら2週間に1度はかなり手間がかかります。
心療内科は込み合っているところが多く、待ち時間が長いです。
病院のあと薬をもらいに行き、家につく頃にはもうへとへとでした。

この経験から、私は通う病院は絶対に家から近い方が良いと思いました。

 

現在は地元の別の心療内科に通って治療中です。
LINE予約できるので日時変更の際の精神的負担や、会社の休憩時間を削ることもありません。
主治医も変わらず同じ先生が見てくれるので薬の説明など心配なことは以前より相談しやすいです。
会社終わりにも行けるので以前より安心して通えています。

 

探すのは手間でしたが、今では確実に通える病院を見つけられて良かったと思っています。

 

どうして適応障害になってしまったのか?

 

3月までは、本業で受け持っていた業務量が増え、副業との両立に悩んでいたのが原因です。4月からは、任される仕事が難しく、悩んでいたことが原因です。

 

適応障害になってしまった経緯を仕事、プライベート面の2つに分けて時系列順に説明していきます。

 

 3月 仕事

 

3月は、3つの理由で悩んでいました。

①自身の担当している業務量の増加

②副業

③引継ぎ担当の仕事を貰う流れになった


①業務量の増加

本業で担当していた業務の進め方が頻繁に変わるようになりました。(わかりづらいので以下業務Aとします)

2週間に一度進め方が変わるので、先方担当者に逐一確認しながら作業することになりました。

いちいち確認してから対応するので処理の時間が膨大に増え、他に受け持っていた仕事との両立に悩まさせるようになりました。

 

②副業

さらに、この期間副業もしていたので、同時に副業の締め切りにも追われていました。
副業は3月から2ヶ月間の間の契約でした。始めての副業でした。

 

本業と違って明確な締め切りがあり、本業との両立に悩まされていました。

こちらは体調不良になったことを相談し、4月以降はお断りしました。

 

③引継ぎ担当の仕事を貰う流れになった

①②の期間、さらに本業の業務で問題が発生。

①の業務Aとはまた別なので、こちらを以下業務Bとします。

 

私が在籍する部署の人員が少ないため他部署から応援として一人人員が追加されました。
その人に業務Bを引き継ぐために、引き継ぎ担当の方の仕事をさらにもらっていました。

最終的には、

①は私が持っている仕事を他の人に引き継ぐことになり、

②は契約終了されたので完全に解決しました。

③で追加された方は応援でなく正式に私の部署に配属になりました。

 

そこまでは良かった。

会社はきちんと対応してくれたと感じています。

①②③で終われば良かったのですが、その後さらに環境が悪化していきました。

 

 3月 プライベート

 

3月半ばまでは先行き不安ななかでも有休が取れていたので旅行に行ったり、遊びに行くことができていました。
副業の締め切りに終われながらも問題なく取り組めていました。
しかし、半ばをすぎると次第に心の余裕がなくなり、予定がない日は家に閉じこもって寝たきりの日が増えていました。

 

 4月・5月・6月 仕事

 

3月に上司に言われた通り業務Aを別の部署の先輩に引継ぎ始めました。

しかし、それと同時に人事異動の関係で3人社員が減り、新しく2人人員が増えました。

したがって、ベテランの先輩と一緒にその2人に業務Bを引き継ぎ始めました。

 

そう。この時点で3人のOJTに私が携わることになっていたのです。

いや、無理だろ。そりゃ病むわ\(^o^)/

 

業務Aは6月頃には完全に引継ぎが終了し、私の手から離れました。

しかし、問題は業務Bでした。

 

業務Bの引き継ぎ先の方2人は変わった方でした。

問題点は以下の6点です。

業務Bの後任2人の問題点
①仕事の覚えが遅く、何度教えても正しく処理できるようにならない
②自分のミスを見直し、きちんと訂正しない
③有休や病欠が多い(営業日20日に対して3日以上の月が複数回ある)
④残業をしたくないようで、仕事を断られる(直接担当者からお願いされ、引き受けるも「明日いるならやってください」と私に依頼される)
⑤仕事をお願いしても、処理されずそのままになっている
⑥①~⑤に至ってしまう理由や状況を一緒に仕事をしている人に説明できず、私では対処のしようがない

 

上記6点がなかなか改善されず、仕事を依頼できない状況が続きました。

 

4月・5月・6月 日常生活

 

4月から6月までは、心療内科に2週間に1回通院するようになり、薬局に睡眠薬をもらいに行くことができました。予定のない日は、変わらず家で何もせず寝ていました。

その他彼氏や友人と遊びに行けていました。

しかしこの頃から遊びに行く際の身支度がいつも以上に面倒に感じるようになり、自分でも違和感を感じていました。

 

ドラッグストアにはなんとか行けるものの、徒歩15分以上歩くスーパーへ向かう気力が起こらなくなり、食料は全てコンビニで購入するようになりました。

 

7月・8月・9月 仕事

 

引き続き業務Bの引き継ぎ相手の①~⑥の点は改善されず、そのままの状態が続きました。

上司には報告したものの、2人に仕事を振るようにとのことでした。

2人の問題に具体的な解決策を思いつくことができないまま、異動した方の業務に入った方が良いかと思い、さらに仕事を増やす決断をしてしまいました。

今思えばそんなに増やしたら業務量的にできないのに、なんでそんなこと思ってしまったんだろう(´;ω;`)

 

7月・8月・9月 日常生活

 

7月前半までは通院と薬局に薬を貰いに行けました。

しかし、7月中旬から8月末はさらに悪化し、病院や薬局に行けなくなりました。

心療内科は2週間に1度睡眠薬をもらいに行かなくてはいけなかったのですが、業務がさらに増え、その精神的ストレスで通えないことが増えていきました。

 

加えて現在9月頭から中旬にかけて、毎日腹痛がするので心療内科に加えて内科に通院し始めました。
腹痛は薬を服用しながら現在次第に回復してきています。

 

 仕事面で最も辛かった点

 

いろいろ書きましたが、仕事面で辛かったのは以下の2点です。

 

●業務Bの引き継ぎ(人材育成)業務の成果が目に見えづらかったこと

●自分と他人の境界線が曖昧になってしまい、相手に原因があるのに私自身を責めてしまったこと

 

 
業務Bの引き継ぎ(人材育成)業務の成果が目に見えづらかったこと

 

人材育成が目に見える成果がなかなか出ないのは知っていました。

でも半年経った今でも成果が出ていない、さらにこれから成果が出る可能性が限りなく低い仕事を頑張り続けるのって、こんなに辛いんだね。
もう少し2人が①~⑥を改善しようとしているのが感じられたらもう少し楽になるのに( ノД`)…

 

自分と他人の境界線が曖昧になってしまい、相手に原因があるのに私自身を責めてしまったこと

 

業務Bの引継ぎ相手である2人は、自分と他人の境界線を簡単に飛び越えてくるのもつらかったです。


あたかも自分の仕事を他人がやって当然ですという態度で接してくるように思えてしまう。

元気な状態なら「もともと相手の仕事だから、断ってもいいんだ」と冷静に判断できる。

でもよく眠れていない状態だと冷静な判断ができず、「自分に原因があるのではないか」と思ってしまうのです。

こんな感じで、断りづらいから仕事を引き受ける毎日が続いています。

 

断りづらいって、本当に辛い。

だって、やりたくないのにやらされている状態に陥ってしまうから
自分も精神的に弱っていて、自分がやりたいのか、やりたくないのか、やりたくてやるべきなのか、やりたくないけれどやらなければいけないのか、どこに当てはまるのかわからない。
けど、受けなければならない。


「もう仕事を引き受けたくない」「どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの」という声が自分に敬意を払わない相手、環境にかき消されてしまう。

 

だから、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうことが、適応障害の一番辛いことなんじゃないかな、と思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。