僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

初めての大失恋、立ち直るまでとそこから学んだこと【オタク女、恋をする。最終話】

この記事は、受け入れがたかった、Iさんとの別れ話【オタク女、恋をする9】の続きです。

過去の記事はこちらからどうぞ。

 

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Iさんと別れた後、私は深い絶望感に襲われるようになりました。

 

まず、Iさんと自分が別れたという事実を受け入れるまで、かなり時間がかかりました。

 

別れたその日は何が起こったのか分からないまま、ただ疲れて、少し泣いてから眠りにつきました。

問題は、その次の日からでした。

朝目が覚め、まずいつも通りIさんのことを考えようとしました。私は、この頃には、会っているときも、会っていないときも、四六時中Iさんのことを考え続けるようになっていました。でも、そういえば昨日Iさんと別れたんだった、と気づきました。でも、Iさんに振られたことは頭では理解できたのですが、どこか遠い、外国とかに住んでいる見知らぬ女性が振られたという話を聞いたときのような、あたかも他人事のような、現実味の無い、そして到底信じられない話のように思えました。頭でIさんと別れたとということは理解できていましたが、心はそれについていけてなかったようです。

 

私はIさんは、本当は私のことが好きだけれど、就活が忙しすぎて、自分の気持ちが分からなくなってしまったんじゃないか、就活が落ち着けばやり直せるのではないか、とか、ずっと考えるようになっていました。

そして、ひたすらネットで復縁の方法を検索し続けていました。

しかし、どのサイトにも、「別れてすぐは連絡しない方が良い、冷却期間を置いた方が良い」と書かれていました。

私は、Iさんにそんな長期間連絡してはいけないと思うだけで、もう嫌になっていました。

そして、私は高校時代の友人に、突然、Iさんに振られた、今から電話させてくれと頼みました。当然友人は困惑していましたが、快く応じてくれ、私は泣きながらIさんと別れた経緯を話しました。

友人は、狂ったように泣きながら話す私の話をよく聞いてくれました。私は話し終え、すっきりし、これで少しずつ立ち直っていくんだ、と思っていました。あのとき友人が話を聞いてくれてなかったら、私の立ち直りにはもっと時間がかかっていたに違いありません。本当にありがとう。

そしてその日はまた泣きながら眠りにつき、次の日になりました。

 

でも、次の日になってもIさんと別れたという事実を受け入れられませんでした。目が覚めると、Iさんと別れたけれど、それを受け入れられていないという事実と向き合わなければいけませんでした。私は大学も行く気力も湧かず、ひたすら復縁の仕方を調べていました。

そして、ひたすら検索し、疲れてまた泣きながら眠りにつきました。

次の日も、その次の日も、まったくIさんとの別れを受け入れられず、ひたすら復縁の方法を調べ続けました。

その間、私は大学は休み続け、バイトにだけ行くようにしていました。

 

段々、眠る前に明日が来るのが怖い、と思うようになっていました。また明日目が覚めたらIさんと別れた、そして別れを受け入れなければいけない状況にある自分に気が付き、絶望することは目に見えていました。もう、ずっと意識を失っていたい。そう思っていました。

そしてまた朝になり、目が覚めました。また同じようにIさんと別れた現実に気づき、受け入れようとする毎日が始まりました。私は、もう耐えられませんでした。まるで、Iさんを好きな自分が死んでいくような感じがしていました。Iさんを好きでいた自分は、当時の私にとって、最も大事な自分の一部であったのです。自分の大事な、最も死んでいってほしくない一部が死のうとしている。そんな事実に、耐えられるはずがありませんでした。

もう考えたくない、でも、意識がある限りIさんのことを考え続けてしまう。私に残された方法は一つでした。そう、お酒でした。

 

私は、いつしか行った韓国旅行の際に買った、チャミスルを片手に持ち、地元の駅をうろうろするようになりました。昼間歩き回ることもあったし、生活のリズムが狂って夕方起きて、夜歩き回ることもありました。近くの公園で匿名のメッセージアプリで様々な人にIさんに振られた話をしたり、また友人に電話で話を聞いてもらったりしながらお酒を飲みました。それでも気持ちが収まりそうにないときは、夕方鎌倉の由比ガ浜まで行き、近くのコンビニでお酒を買い、夜の由比ガ浜で波打つ海を眺めながらお酒を飲んでいました。夜の由比ガ浜は人が少なく、夏は若者が数人泳いだり、たまに花火をしているくらいで、一人で過ごすのにはちょうど良いとそのときは思っていました。また、浜辺で波の音を聞きながら水平線を見ると、「この先にも、世界は繋がっている。この世界は、こんなにも広いんだ。私が振られたことなんて、それと比べたら、なんて小さなことなんだろう。」と思うことができました。

 

今思うと、執拗な友人への電話も十分恐ろしいですが、由比ガ浜に行っていた自分は、完全に正気ではなかったと思っています。鎌倉駅から、由比ガ浜まで、歩くと結構な距離で、正気に戻った後に一度行ったことがあるのですが、そのときはとても一人で行きたいとは思えませんでした。ちょうどオフシーズンだったので、私の他に誰もおらず、もちろん街灯もそんなに多くないので暗く、お化けが出そうなくらいの雰囲気だったのです。

あそこに夜、終電間際まで自分がいたなんて、正気に戻った私には信じられませんでした。そんな風になるまで、私は思いつめていたのです。

 

段々と、私の生活習慣もおかしくなっていきました。まず、それまで問題なくできていた、毎日お風呂に入るということができなくなっていました。私は、地元、由比ガ浜の徘徊、復縁のネットサーフィンをすることに夢中になり、入れなくなっていたのです。まあ、2.3日に一度は入れていましたが。

夜寝る時間もめちゃくちゃになり、夕方に起きて、朝方に眠るようになっていました。寝る時間を調整しようと、市販の睡眠薬を買い、飲んでみましたが、あまり効果がなく、この生活のリズムを直すことはできませんでした。

大学も、行かなくなって1か月が過ぎようとしていました。そのときの私にとって、卒論なんて、もうどうでもいいとすら思っていました。大学の友達からも大丈夫?と連絡をもらったりしていましたが、大学時代の友達に「失恋して立ち直れない」と話す勇気はありませんでした。

 

自殺も考えましたが、私にそんな勇気は全くなく、臆病者の私は自殺用の縄すら買うことができませんでした(実は全く死ぬ気ない)。

段々と、ネットサーフィンの内容も、復縁だけでなく、わら人形を使った呪術とかについても調べるようになっていました。わら人形は、確か深夜にくぎを打たないといけないと書かれており、実家暮らしで深夜外出できない私は、あっさりと諦めたのでした。

今も昔も、案外私は気が小さいんだよなあ、と思ってしまいます(笑)。

 

とにかく自分がおかしくなっていることに気づいた私は、地元の精神科に行きました。

精神科で、今までのいきさつを話しましたが、「眠れなくなったりしていないのであれば、特に病気ではありません」という診断でした。まあ、確かに、そんなものなのでしょう。敢えて無理矢理病名をつけるとすれば、恋の病でしょうか(笑)。

絶対に精神病だと思っていた私は、精神科での診断をすぐには受け入れられませんでしたが、その反面、病気じゃなくてよかったと少し安心もしていました。

 

 

そうしているうちに1か月が過ぎました。私は、この期間、生きながらにして死んでいました。今思っても、両親の離婚の次に辛かった経験です。

 

一か月が経ち、そろそろ大学に行って授業に参加しないと、卒業が危うくなりそうでした。そしてやっと私は大学に通い始め、友人の助けを借りながら、次第に元の生活に戻っていきました。

 

そして、大学もバイトもない日、毎週のように高校時代の友人を捕まえ(笑)、お茶したり、ご飯を食べたり、卒業旅行の計画を立てたりしました。たまに中学時代の友人とも会っていました。そして友人達のおかげで、段々と自分を取り戻していったのです。

友人達と一緒にいると、つまらない、全く充実していない大学生活を忘れ、昔の楽しかった思い出が蘇り、段々と私は回復していきました。

 

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高校時代の友人と何度も行ったシェイクシャック

 

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高校時代の友人と一緒に登った御岳山

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中学時代の友人と一緒に行った知床


また、自分自身でも、Iさんの復縁を祈って出雲大社に行ったり、そのついでに広島に旅行に行ったりと、初めての一人旅に挑戦したりしていました。

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復縁を祈った出雲大社

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縁担ぎで食べた縁結びかまぼこ(一人で恥ずかしかった…)

 

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頑張って撮った原爆ドーム

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厳島神社

出雲大社にまで行き、Iさんと復縁を願いましたが、結局復縁は叶いませんでした。ですが、Iさんとの出会い、別れは、Sさんとの別れと同様に、高校時代の友人達を引き寄せたのかもしれません。今もありがたいことに、友人達との関係は続いています。

 

そして、今思うと、Iさんと別れた後の自分は、前よりも自己肯定感が高くなっていました。Iさんがひたすら女性として魅力的だ、と言ってくれていたからでしょうか。付き合う以前の私は、私なんかに好意を抱かれても男性は困るに違いない、好きな気持ちを押し殺さなきゃと思っていました。でも、Iさんの言うように、私が本当に女性として魅力的なら、私の好意を煙たがる男性なんていないはずです。実際Iさんも、私の告白を受け入れてくれたのですから、私の好意を煙たがるどころか嬉しく思ってくれていたのだと思います。

私の好意を有難いと思ってくれる、自分自身を受け入れてくれる相手がいたことは、自然と私の自己肯定感を上げてくれていたようです。当時はIさんがいろんなところに遊びに連れて行ってくれない、プレゼントもなにもくれないと不満に思っていましたが、今思うと自分を受け入れてくれているというだけでも、彼氏としては十分だったと思っています。

 

初体験も済ませて、少し大人の階段を上った、大学4年の夏の思い出でした。

 

さすがに別れて4年も経つと、あの時の、純粋にIさんを好きだった自分の気持ちをまったく思い出せないんですよね。あの時の自分の気持ちを書いてはみましたが、なぜか全く共感できないんです。

実際にあったことは覚えてるんですけど、あのときの気持ちに戻れるかと言われると、はっきり言って無理だし、戻りたいとは思わないです。確かに顔は好きだったけれど、Iさんのつかみどころのない、どこか信用できないうさんくさいところは、やっぱり好きになれなかったので。というか、相手を受け入れられていなかったのは私自身の方だったのかもしれません。私が、彼女として力不足だった可能性すらありますね。

 

昔の経験を踏まえて、今の私は、信頼のおける相手と付き合いたいし、次付き合う相手とは信頼関係をきちんと築いていけるといいな、と思っています。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。