僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

【大失恋】3年前マッチングアプリで出会った俺様男を未だに忘れられない話5

この記事は、【大失恋】3年前マッチングアプリで出会った俺様男を未だに忘れられない話4の続きです。過去の記事はこちらからどうぞ。

 

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私は、武蔵小杉のデニーズで、Sさんに振られてしまいました。

Sさんにこの後会うことはありませんでした。

 

Sさんに振られ、それを受け入れた後、私は地元に帰ってきました。

地元の駅で、私は、ずっと前にTinderで出会った男性(初めてTinderで出会った人なので、このあとから1とします)に、今彼氏に振られたとLINEしました。

 

1は最初LINEでやり取りをしていたのですが、話が長くなりそうだと察したのか、電話しようと言ってくれました。とにかく電話で、最近「with」で出会ったベンチャー企業勤務のSさんと付き合っていたけれど、そのSさんに突然振られた、私の話は生産性がないから振られた、と話しました。1は、今度飲みに行こうと慰めてくれました。でも私は、「どうしても今来てほしい。来てくれないと、死ぬから。」と言いました。いや、我ながらメンヘラが過ぎる。でも、そのくらい私は危うい状態だったのだと思います。

1は、え、死ぬ??と聞き返し、私の発言に驚いていましたが(でしょうね)、「それはやばいから、行くよ」と言ってくれ、地元まで来てくれることになりました。

 

1が来るまで時間をつぶし、1と合流して、「とにかくお酒を飲もう」という話になり、居酒屋に入りました。1は、じっくり私の話を聞いてくれました。でもなぜか、途中から下ネタの話になり(私がそういう話題を振ったのかもしれません)、1は、私と身体の関係を持ちたいと言っていきました。多分、突然来たのは、私とそういうことをできるかもしれない、と思ったからからなのかもしれません。私は驚きましたが、そのときはSさんに振られたことを受け入れる方を優先したかったし、1と身体の関係を持ちたいとは思わなかったので、断り、その日は家に帰りました。信用していた1にもそんなことを言われ、私は、傷口に塩を塗られたような気分でした。

 

私は、Sさんに別れを告げられたことと、1に身体の関係を持ちたいと言われたこと、2つを受け入れなければいけなくなりました。私は混乱していました。辛く、とにかく一人ではいられないと思いました。

 

私は、いろんな人にSさんに振られたこと、生産性がないってどういう意味なのか分からない、1に変なことを言われたととにかく話しました。吐き出さなければ、もう無理でした。職場の同期は、私を慰める会を開いてくれました。本当に私は人に恵まれていたと思います。開いてくれた子も、来てくれた子も、本当に感謝しかないです。そして、この後私は別の同期の子と一緒に、合コンや街コンに度々参加するようになりました。また、同期の中で、友達の中で良さそうな人を数人紹介してる子もいました。でも、どの男性と会ってみても、Sさんと比べてしまい、付き合いたいと思えず、度々断っていました(最低すぎる)。それに加え、Amwayの勧誘の記事でも書いた通り、この頃typsisという女性と会うことができるマッチングアプリで出会った女の子と食事に出かけたり、ここでも合コンをしたりしていました。この子は実際には不動産投資の勧誘目的で私に近づいてきていたのですが…。とにかくいろいろ出会いの場に顔を出しましたが、彼氏はできず、Sさんを忘れることもできませんでした。今思うと、このときは新たに彼氏を作る気になれていなかったのだと思います。Sさんを忘れようと思うあまり、空回りし、いろんな人に迷惑をかけてしまったと反省しています。

 

 

 

この後さらに高校の同級生と旅行に行ったり、職場の同期と遊んだりして過ごしました。高校の同級生は、この間に2回も忙しい中時間を作ってくれて私の旅行の誘いに乗ってくれました。

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同期と一緒に行ったカフェ

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一緒に合コンしていた同期は、ホテルビュッフェというお洒落イベントに誘ってくれた

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高校の同級生の転勤先、神戸へ

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高校の同級生と一緒に行った函館

Sさんに振られたのは9月でしたが、こんな風に過ごしているうちに、あっという間に3月になりました。

 

いろいろ遊びには行っていたものの、別れた後から、私は精神的に不安定な状態が続いていました。私は、別れた後にSさんのツイッターを見つけてしまい、Sさんの近況を確認するようになりました。Sさんは、私と別れた後、別の会社へ転職し、彼女ができたようでした。新しい彼女と同棲しているということをツイッターを見て知り、私の調子は日に日に悪くなっていきました。別れて1-2か月くらいで、Sさんは新しい彼女ができていたようです。Sさんを忘れられず、前に進めない自分と、今最高に幸せであろうSさんを毎日比較し続けた結果、私は壊れてしまっていたのかもしれません。また、毎日、Sさんとの別れ際を思い出していました。Sさんに別れ際に言われた「君の話は生産性がない。」という言葉が忘れたくても、頭から離れなくなってしまっていました。自分は生きていても何の意味もなく、面白いこともできない。お金もなく、性格が特別良いわけでもない。私は一生社会の歯車として、会社員として、生きるしかなく、Sさんはそんな私の人生を鼻で笑っているに違いない。何に対しても保守的な私を切り捨て、自分の道を切り拓いたSさんはきっと成功している、それに比べて私は…というように、ぐるぐると考え続けていました。

 

あまりにSさんのことが頭から離れず、特にこの年の3月は辛かったです。何もしたくない期間が1ヶ月くらい続いたので、私はメンタルクリニックに行くことにしました。電話予約が必要なところだったのですが、私は病院に電話すらできませんでした(今でもなんで連絡できなかったのかわかりません)。弟にお願いだから連絡してくれと頼み、私はなんとかメンタルクリニックの予約を取ることができたのでした。私が予約したところは当日診療可能なところだったので、すぐに準備をし、病院へ向かいました。

 

メンタルクリニックでは、血液検査と、精神状態を確認するテストを行い、心療内科の先生の診察を受けました。先生に、私は婚活で失敗し、自分はもうダメなのだと言いました。若い、男性の先生(DaiGoをもう少し優しめにしたかんじのイケメン)だったのでSさんとの馴れ初めを全ては話せませんでしたが、とりあえず先生は薬を出すから、それで様子を見てみましょうと言ってくれ、最後に「まあ、結婚はご縁ですからね」と付け加えました。

 

縁がなかった。帰り際だったので、どう言う意味なのか、先生に聞くことはできませんでした。聞いてすぐは、そんなありきたりな言葉で、私が立ち直れるわけがないと心の中で思い、病院を後にしました。でもなぜか、その言葉が引っ掛かっていました。先生は何を言いたかったのだろう、と私は帰りの電車で考えました。Sさんとうまくいかなかったのも、合コン、友達の紹介でどんなに頑張っても相手が好きになれないのも、縁が無いからだった。縁がないってことは、言い換えると運が悪かったということです。つまり、先生は私が悪いわけではないと言ってくれていたのだと、しばらく考えてやっと気づいたのです。