僕の傘を探しに

26歳OLの雑記

【事務職4年目】本気で働きたくないと思ったとき2つの事実に気づいた話

自分の仕事に価値を見いだせない。

もう、明日会社にいきたくない。

そう思っていた。


結局わたしは価値観の違う人からの「ものさし」で自分の価値を計られ、その価値が上がらないことに苦しんでいたのだ。

最終的に、狂ったものさしでわたしを計ろうとする人間の言うことを真に受ける必要はないこと。
未来のわたしは苦しんでいる今のわたしの「希望」になれるという結論に至った。


業務の外注化、AI化について提案したところ、上司が別で動いているが、現在は話が止まっているということだった。

前回自分の仕事の外注化と AI化を提案しようとした話はこちらから。

momokoara0402.hatenablog.com

全然知らず、いろいろ調べてしまっていた。

さらに、自分の仕事をしながらできるのであれば外注や新たなシステム導入について業務時間内に調べてもいいと言われた。


でも冷静に考えてみれば、その業務の外注化、AI化はお偉方の会議で話し合っている。
役職についている人しか出ていない会議にわたしが参加できるはずがない。
事務所でつねに鳴り響く電話をとるのがわたしの普段の仕事だからである。

どこまで進んでいて、何が障害となって話が止まってしまっているのか知り得る方法がない。
つまり、どう転んでもわたしの仕事にはならない。


どうにもできない。解決できない。
もう、このまま不満を抱いたまま働くしかないと思うと、絶望しかなかった。

今、伝票処理がメインであるにも関わらず、電話の件数と、契約獲得件数が評価の半分を占めている。


電話の件数、獲得件数は数値化されるが、伝票処理数は全くカウントされていない。
数字に表せない仕事を、給与には反映することなどできるのだろうか。
数値化されないということは、「だいたい」で評価しているかもしれない。


そう思った途端、数値化されないメイン業務に価値を感じなくなった。
すると、明日、自分が出社する意味もわからなくなった。

このまま苦しみ続けるのかと、絶望していた。


絶望しながら無心でタブレットを開き、文字に起こして自分の仕事を振り返った。


1年目。

先輩についていちから教わった。

事務職だが、エクセルよりも自社のシステムを使えなければならなかった。

画面での操作をメモするのは難しかった。
そもそも、どこをメモしてよいのかわからない。


「先輩が忙しくて聞きづらいな。少し落ち着くのを待ってから処理しよう。…マニュアルがあれば、自分のペースで進められるのに」

「仕事の流れがわからない。自分が間違えたら誰にどう迷惑がかかるのかわからない」

「いきなり完璧に処理するのは難しいから、絶対に間違えてはいけないポイントが知りたい。優先順位をつけて覚えたい。でも、この仕事で間違えてはいけないポイントが見えてこない」


単に要領が悪かっただけかもしれない。
でも、そう思ったことを忘れることはなかった。


うちの会社で、マニュアルを作成してもなにも評価は上がらない。
マニュアルの効果は、数値では表しづらい。
だから今まで先輩たちも作ってこなかったのだろう。


しかしわたしは、3年目以降、仕事を引き継ぐ際は可能な限りマニュアルを作成した。

新人のとき上記のような不満を感じていたし、なかなか覚えられなくて悔しい思いをしたからだ。


新しいことに挑戦しているのに、少しのミスで挙げ足ばかりとられる。
現状維持している人より、大変な思いをしているのにあんまりだ。
ケアレスミスをしてしまって、新しいことに挑戦させてもらえない。

もう、この仕事で覚えられることは全て覚えきっているのに。

新しいことに挑戦する気持ちがある人には、もっと可能性が開かれていてほしい。
早く覚えてどんどん新しい仕事に挑戦し、さらに可能性を広げていける環境に変わってほしい。


わたしと同じように苦しむ人がいなくなってほしいという自己満足に近い気持ちだけが原動力だった。

不馴れな分、作成には時間がかかった。
作った後、渡した人に何か言われることもない。


でも、書いてあることを聞かれることはなくなった。
基本的な処理についての質問はされず、聞かれるのはマニュアルに書いてある通りにいかないときだけだった。
いざ渡してみると、思っていたよりきちんと読み込んでくれていたようだ。


初めてマニュアル作成したのは3年目だった。
その際は作成する時間がとれず、20時間程度残業して作成した。


そして1年が経過した4年目。
気づけば私は、自分の最低限の仕事を最速で進めながら、残業せずにマニュアル作成までできるようになっていた。
今年度が特別仕事が少なかったからもある。
加えて手を貸してくれた人がいたから実現できたことだ。
感謝、という言葉だけでは言い表せない。


きっと、世間一般では当たり前のことだろうし、特別なことではないだろう。
エクセルで文章が打てて、少しペイントが使えれば簡単に作成できる。
とてもパソコンスキルが高いとは言えない。


それでも、3年前わたしが抱いていた不満を解消する「希望」となり、「理想」に近づいていた
残業が減り、自分自身を犠牲にすることなく働くことだってできている。


人は、ほかの誰かにとっての希望になれるのだろうか。

なれるかもしれないが、なれないかもしれない。それが答えだ。
この世には、様々な価値観を持つひとがいる。
ほかの人の理想が、自分の理想と一致するかはわからないからだ。


ただ、ひとつだけ言えることがある。

未来のわたしは、現在のわたしの「希望」になり得る。

だって、未来のわたしは、過去のわたしでできているのだから。

今不満だらけでも大丈夫だ。

今の不満こそ、未来のわたしをかたちづくっていく。

たくさん不満を抱いていいし、理想を高くもったっていい。


今考えると、人からの評価ばかり気にしていた

数値で評価したがる人間もいるが、「星の王子さま」にもあるように「ほんとうにだいじなものは、目にはみえない」と考える人だっている。

わたしと価値観の違う経営層よりも、サン=テグジュペリを信じたい。


簡単に上の狂ったものさしでわたしの価値を計られてたまるか。
そんな失礼なことをしてくる人間を許すな。

お金で、信念までねじ曲げられてたまるか。

この気持ちを忘れないことが、「30の反撃」ならぬ、「26の反撃」である。

www.amazon.co.jp

 

www.amazon.co.jp

【社会人4年目】久しぶりに自分の殻を突き破りたい

事務職を続けることは、自分の市場価値が下がっていくのを指をくわえて見ていることと同じなのだろうか。


新卒入社してから事務職を続けて4年。
「楽そうだから」という理由で事務を希望した。

世の中の「手に職」といわれる職業には、あまり興味が持てなかったのもある。

 

最近、少し業務に慣れてきたからだろうか。
仕事に面白味を感じることが少なくなってきた。

加えて私が勤めている会社は副業禁止だ、
他の職種を体験することなど許されない。

結局そんな言い訳をしてなにも行動に起こさないのだから考えても仕方がない。

うちの会社は若手社員が少ない。
単に採用人数が少ないのもあるが、新入社員の3割以上はやめてしまっている。

新入社員だけでなく、中堅の社員もである。


気持ちはわかる。

毎日、誰にでもできる仕事ばかり。いつだって代わりがきく。

なにか新しいことを始めようをとすれば、いつだって言い出しっぺが全て責任を負い、ひとりで行動する。

役員は社員を減員し、その儲かった金で1円も減らすことなく役員報酬を貰い続けている。人権費を削って将来の投資などなにもせず、ただ椅子に座っているだけである。

とてもじゃないが、他の企業でやっていけるような人間ではない。


そもそも、経営層はほぼ親会社から出向してきている社員である。
親会社から子会社への出向だ、はっきりいって、前向きな異動ではない。

親会社の偉い誰かに嫌われ、出向になったらしいなんて噂を聞いたこともある。
一応出向でない社員もいるが、うちの会社のメイン業務に詳しい人間ではない。

つまり、経営層にきちんと各部署の業務内容を理解している人間はいないということである。


そんな会社で、この先ずっと「経営者に使われるだけの事務職」でいてよいのだろうか。

いや、そう思うことは自分自身に対しての冒涜である。


「自分は能力がないから使われてもしかたない」「自分の雇ってくれる会社はここだけだ」そう思い込むことがいつしか当たり前になっていた。

昔見た、動画を思い出す。たしかおるたなChannelか、ないとーVlogであった気がするのだが、どの動画だったのか思い出せない。

m.youtube.com

m.youtube.com


「(韓国ドラマ梨泰院クラスの)パク・セロイの自分の価値を自分で下げるなという言葉に感銘を受けた」と話していた。

「事務職は金にならない」と経営層に言われ、日々誰にでもできる、なんの価値も生み出さない労働をする。そんな毎日を選んでいたのは、他でもない私自身だった。
自分自身で自分を安く買い叩いていたのだ。

絶望していたある日、そのことを話した。

したら業務を「外注した」「自動化した」例を聞いた。


それを聞いてまず出てきたのは「ただの一般事務として雇われている自分にそんなことをする権限などない」という言い訳であった。

確かに権限はない。
でも、「やってみたいです」「やらせてください」と言ってみることはできる。

ふと、1年目の頃を思い出した。

一から仕事を教えてくれる先輩がいた。
自分の仕事をしながら教えられるくらいだ。
先輩は仕事のできる人だった。

でも、あるとき「うちの会社はね。どんなに意見を出しても無駄なんだ。何をいっても聞いてもらえない。」そう言った。

なんだかんだで「改善提案を出した」とも言っていたし、私の知らないところで自分の意見を言っていたかもしれない。きっと上記の通りに話していた先輩は疲れてもいたのもあると思う。

そう思うけれど。
あのときうつむきながらそう言った先輩の目には光が宿っていなかった。

仕事ができる人でも、そう思ってしまうくらい、この会社でモチベーションを維持するのは難しいのか。

そう思ったあの瞬間が忘れられない。

先輩は新入社員である私とさして変わらない給料で働いていた。
10年目である先輩も、1年目である私も大卒、しかも新卒である。
能力の問題で決まったわけでもなく、ただ給与体制がおかしいだけだったのだと思う。
しかし、それを知ったのは先輩が産休に入ったあとだった。

悲しかった。
どうしてこうなっちゃったんだろう。わからないけれど、うちの会社はなにかがおかしい。社会人1年目の新人だったが、それだけは理解できた。

私は10年後、こうなっているのだろうか。
私も、会社におかしくされるのだろうか。
会社のせいで、明るい未来に思いを馳せることができなくなるのだろうか。

そんな未来が容易に想像できてしまった。


そんな先輩も無事出産して今年度から他部署で復帰した。
きっと今はあんな顔はしていないと思いたい。

でもいつしか、私も先輩と同じ考えをするようになっていた。
挑戦する前に言い訳をして、尻込みするようになった。

1年目の頃は、仕事が少なかったのもあるが、「その仕事、私にやらせてください」と上司に言うこともあった。
結局やらせてもらえなかったが、新しいことに飛び込む意欲があった。

しかし、いつしか給与が安いから新しいことはしたくないと思うようになっていた。
給与だけでいったら確かにその通りだ。
でも、挑戦しなければ、今後給与が上がる可能性すら失ってしまう。

まだ若いのだから、全力で挑戦して、たくさん失敗したって大丈夫だ。
いや、若くなくたって、人間は失敗する生き物だ。

挑戦を恐れず、全力で飛び込もう。
自分の殻を、突き破ること。すぐ突き破れなくても、突き破ろうとすること。

それは事務職で、何のスキルもない、強みもない私にできる、唯一の方法だろう。

こんなことを言っているが、たぶんやらせてもらえないと思う。
言うだけ言ってみようという気持ちである。

【本当は教えたくない】マッチングアプリでの恋人探しを成功させる4つの秘訣、暴露します

3年前から、ずっと彼氏がほしかった。

でも、23歳で彼氏と別れて数か月、そして間を空けて25歳になったコロナ前の約半年、そして一人暮らしを始めて半年、マッチングアプリに力を注いできたが、失敗。

しかし仕事にやりがいを感じないし、変わらず彼氏はほしかった。
最終的に、アプリで恋人探しをするのが私の日常と化していた。
そして人気アプリwithを駆使し20人以上の男性と会った。

それでも彼氏ができなかった。

私は恋愛でも、仕事でも比較的神経質な性格だ。

なにかうまくいかないことがあるとネガティブな考えで頭がいっぱいになり、冷静になることなどできない。好きになった相手は私に好意を抱くことはなかったし、逆に告白されてもなぜか相手のことが好きになれない。
「どうしてあのときあの人は私に好意を抱いてくれなかったのだろう」「好意を抱いてくれた相手を傷つけてしまった自分は最低だ」そう自分を責める毎日を送っていた。

外見普通、学歴も普通。年収だって一般事務で200万。
普通すぎるのだろうか。別段取柄がないからダメなのだろうか。
そう思う度自己肯定感は下がり、視野が狭まっていく。

もうだめだと思っていた。そんな矢先。奇跡的に彼氏ができた。

今回は1年以上彼氏ができなかった私がなぜ彼氏をつくることができたのか振り返っていこうと思う。

一言で言ってしまうと、「運がよかったから」である。

なんだ、じゃあ自分ではどうしようもないじゃないか。
そう思うだろう。
私だってそう思っていた。

正確にいえば、「自分は運が良い」「うまくいっている」と思えるだけの精神的余裕がある状態を維持すること。それができたからうまくいったのだろうと思う。

ではこれから、「精神的余裕をもつこと」に繋った行動4つを書いていこうと思う。

気持ちの余裕を持つために必要だった4つのこと

①自分の気持ちをアウトプットする
②1人で悩まない
③ダラダラと1つのアプリで探し続けない
④1人の異性に執着しない

しかし私は心理学の専門家ではないので、科学的根拠は全くない。
ただ言えるのは、難しい知識がない、外見普通、収入普通、さらに友達が少ない私でも実践できたことだ。誰でも、今日から実践できる。

①自分の気持ちをアウトプットする
1番におすすめしたい方法。
それは自分の気持ちを目に見えるようにすること。
そう、字に起こしてみることである。

マッチングアプリでは、たくさんの人と出会う。
メッセージのやりとりだって立派な「交流」だ。
いつもは関わらない人と話してみると、必ずなにか感じることがあるだろう。

とは言うものの、なにを感じているのかわからない
たくさん出会っていれば、自分がこの人を良いと思っているのかすら分からないと感じることもあるだろう。
いや、まだ「自分がなにかを感じている」と気がつくことができればまだ良い。
「自分はなにも感じていない」と思っていても、いざ気持ちを言葉で表してみると、案外色々なことを考えていたりする

まずは自分自身のことをきちんと理解することが恋活には一番重要だ。

紙に書いてみるのも良いと思うし、パソコンのメモ帳に書いてみても良い。
私も以前紙に書いてみる方法を試してみたが、どうにも続かなくてブログに至った。自分の汚い字を見なくて良いし、簡単にコピぺすることもできる。メモを捨てるときにごみもでないので快適だ。もし紙でうまくいかない人はネットに保存することをおすすめする。

もしネットに保存するのであれば、匿名でブログで発信するのが一番良いと思う。SNSでも良いが、Twitterは140字しか入らないので、少し短いかもしれない。
発信していれば似た価値観の人が集まってくるかもしれない。
私もそんな読者の方々に支えられて恋活をしていた。

 

②一人で悩まない
恋愛には正解がない。恋愛観は、人によっても全然違う。ときには自分とは全く違う価値観の人とやりとりをして、嫌な気持ちになることもある。好きだったのに向こうはそんなつもりがない、遊び目的だった、そもそもビジネス目的であることもあるかもしれない。

そんなときは、絶対一人で抱え込まずに誰かに相談してほしい。
話すのだって、立派なアウトプットだ。直接的な解決に向かわなくても、精神的に楽になる。1人で悩んでいるときはどうしようもない問題だと思っていたことが、人に話すとなんでもないことのように思えることだってある。
どうしても、一人で悩んでいるとどうしても視野が狭くなってしまう。精神的に不安定状態なのだ、視野が狭まるのだって当然である。

そんな状態に陥ってしまったときは、全力で人の力を借りよう。
「このままではいけない」「自分自身でいてはいけない」そう思ってしまえばしまうほど、解決からは遠ざかる。自己肯定感を上げるのは、「自己受容」してからにしなければいけない。「自分のままで良いんだ」と自分自身を受け入れることが、まずは第一段階だ。それこそがよりよい自分でいるための必要最低限の条件である。

だから、愚痴を吐くのは悪いことではない。
韓国ドラマの主人公は、いつも悩んでいるし、時には焼酎を飲んで愚痴を吐く。

そんな主人公を、私はいつも嫌いになれない。むしろ、共感してしまう。
世界的に有名なドラマのヒロインは全力で愚痴を吐いているが、嫌われてはいないはずだ。嫌われていたら、海を渡ってサブスクで放送されるはずがない。
だから、あなたがやったって責められたりしないだろう。

もしかしたら、愚痴を吐いたあなたを否定する人もいるかもしれない。
でも、そんなことで否定してくるような人間とは、一緒にいなくて良いと思う。
全力で愚痴を吐き、立ち向かっていこうとしているあなたはかっこいいのだ。
そんなあなたを全力で応援したい。

周りに相談できる人がいない方は、TwitterからDMを送ってほしい。
かならず返信する。

 

③ダラダラと1つのアプリだけで探し続けない
2年間withだけを続けていたが、全くうまくいかなかった。

理由は、「with」に飽きていたからである。
そもそも最初は飽きていたことに気がつかなかった。

返ってくるか分からないのに人気会員に「いいね」をだし、良いと思ってもないのに「いいね」をくれた人に「ありがとう」を返す。マッチしたらいつも通り自己紹介をし、興味もわかないのに相手を好みカードを読みこんで相手の趣味の話題を振る。

質の低い「いいね」のやりとりと、会えるかも分からないのにメッセージを続けることに疲れ果てていた。

あるとき奇跡的に疲れている自分に気がつき、withを「おやすみモード」にした。

少し離れてから、やっと疲れていた自分に気がついたのだ。

どうしても、なかなか良い人に出会えないと1つのアプリに集中したくなる。
「これまでこんなに頑張ってきたのに」という気持ちを捨てきれず、どうしても執着してしまうのだ。

なので、煮詰まってきたら少し期間を決めて休むか、気分転換に違うアプリで探してみることをおすすめする。

マッチングアプリは一つだけではない。会員数が少ないからといって素敵な人と出会えないなんてこともない。素敵な人と出会えないシステムなのであればとっくにそのアプリ、サービスは終了しているはずだ。

これまでの方法と距離をとってみると、これまでの出会い方の「良いところ」「悪いところ」が見えてくる

少し離れてみてもその方法が良いのであれば戻れば良いし、違う方法に試したいとおおえればそれでも良い。

 

④1人の異性に執着しない
邪道だが、これは重要である。
どんなに素敵な相手と出会っても、「1人」に執着するのは絶対にやめてほしい。

デートを全力で楽しむのはいい。話したいことがあるのなら好きなだけ連絡をとったって良い。そこであえて自分の気持ちに反して冷たい態度をとったり、連絡の頻度を落として駆け引きをする必要はないと思う。

でも。「1人に執着しないこと」。この点だけは打算的であっていいと思う。
もしかしたら、気に入っている異性から頻繁に連絡が来てしまい、そんな暇などないという方もいるかもしれない。

特に1日中連絡をとりたがる相手には要注意だ。
知り合って間もないのに頻繁に連絡を寄越してきて、いたずらに時間を割かせているのは礼儀知らずな人間である可能性も思い出してほしい。


とにかく、どんな場合でも「1人の異性に執着しない」という点だけは譲らないでほしい

恋活は、ここだけ就職活動と同じだ。

「あなたが一番です」と会っている間は言っておいて、かならず別の異性も見てほしい。
付き合っていないのだから、別の異性と出会うのだって自由だ。
付き合ったら恋人になる前提で異性と会うことはないのだから、今のうちに楽しんだ方がよいに決まっている。

それに、これが就職活動であったら、内定を出してくれそうな会社が見つかった時点職探しをやめるだろうか

いや、やめないだろう。涼しい顔をしながら別会社の面接を受ける人が大多数に決まっている。

私も今の彼氏と会った後も5人の男性と出会った。

結果、最後まで妥協せず会い続けて本当によかったと思っている。
自分のなかでも、「これだけ会ってみて駄目なのだ。これ以上一緒にいて楽な人はそう多くないだろう」と納得して恋活を終えることができた。

以上の4つがあったから、私は自分自身を守りながらなんとか恋活を終えることができた。
また別れたらこの4つを実践しながら恋活をしていこうと思う。

ただ、この4つを行えば必ずうまくいくという保証はない。
本当に、出会いは運に左右される。
最終的に運に逃げてしまって申し訳ない。

とにかく、うまくいかなくてもどうか自分を責めるのだけはやめてほしい。
そんなに明確な理由があるのなら、ここまで真剣に考えているあなたが気が付かないはずがないのだから。

物足りないくらいがちょうどいいなんて嘘だし、いつだって満たされていたい

物足りないくらいがちょうどいいだなんて、誰が最初に言い始めたんだろう。
そんな考え、くそ食らえ。

久しぶりに夜更かし、いやほぼ徹夜をした。

土曜日。
午後からいつもの如く彼氏であるしゅうたと新宿で集合し、そのまま伊勢丹へ行った。

 

オードブル、寿司、お酒、ケーキを買い、そのまま家へ。

帰り道、電車の窓に反射して私たち二人の姿が写った。

そこにはおめかしした私と、普段通りのしゅうたが写っている。

くっついて座る私たちは、周りからどう見られているのだろう。
いや、周りは私たちのことなど見ていない。
全く気にもされていないだろうし、なんならこんなところでお互いもたれ掛かって座るなんて、バカップルだと思われているだろう。


そんなこんなで家に着き食事を済ませた後は言うまでもない。


しゅうたといると半日が一瞬で過ぎる。
我ながらそんなにも性欲があるなんて恐ろしい。


次の日は仕事だった。

仕事だが、もう少し一緒にいたかった。
いつもそうだ。
別れ際名残惜しそうなのはいつも私だけである。


彼はいつも疲れているのか、冷静に「もう帰りな」と言うだけである。

しかし、これはしゅうたと一緒にいるときだけでない。
誰とていても別れ際は名残惜しい。


友人と旅行に行き、あまりの名残惜しさにいつも一緒にご飯まで食べてから解散したいと言ってしまう。

食事も腹8分目が良いと言うが、いつも腹10分目まで食べてしまう。


恋愛も遊びも、物足りないくらいがちょうど良いというが、私はそうは思わない。


なぜたまの休みなのに全力で遊んではいけないのか。
明日仕事があると徹夜してはいけないという法律がいったいどこにあるというのだ。

休みの日まで次の日の仕事のパフォーマンスなんか考えて溜まるか。


私は腹8分目という言葉など知らない。

私のなかの辞書には、腹120目という言葉しかない。

死ぬ直前に「あのときもっと一緒にいておけば良かった」と後悔するほうが嫌だし、許せない。

 

友人もそうだが、別れ際名残惜しいと思える関係は、誰とでも築けるものではない。
正直、一緒にいて疲れる相手とは遊ばないし、別れ際もあっさり解散するだろう。


だから腹120分目で良いのだ。

付き合っているといつも思うことがある。

 

この関係が、永遠に続くとは限らない。
役所に届け出を出したわけではないし、契約書を結んだわけでもない。

別れても何事もなかったかのほうに、日常に戻っていかなければならない。

 

関係が続いて結婚したとしても、人の命には限りがあるのだ。
「今度で良いや」と思って後回しにしてしまったら、その「今度」がいつ来るのかわからない,

 

だからこそ、今を大事にしたい。

今を全力で楽しみたい。

 

だから私は、今日も腹120分目。


物足りないほうが丁度良いなんて、誰が決めたのだ。

丁度良いかどうかなど、人に決められずとも自分で決める。

だって、私の人生なのだから。


こんなかっこいいことを言っているが、きっと6時間後の私は、彼の家に泊まる決断をしたことを後悔しているかもしれない。結局、3時間しか寝れなかった。

勢いに任せた行動には、必ずつけが回ってくる。これは言うまでもないだろう。

仕事も恋愛も完璧を求めるのはもうやめたい

「至らないところがどんどん見えて、どうしても解決しなければと焦っちゃう」

「昔そう思っていたことがあったけど。でもどこまでいっても完璧なんてないと思う」

悩んでいた私に、彼はそう言った。


仕事をやめたい。


転職するとしたら、何になりたいのだろう。

ふとそう思った。


最近、彼氏と年収の話で少し揉めたことをきっかけに、ずっとこの先もこの仕事を続けて良いのだろうか、と考えるようになった。

福利厚生は悪いほうではないが、はっきりいってやりがいはない。

単純な私が思い付いたのは、ライターという職業であった。

早速Webライティングで有名なこちら「沈黙のWebライティング」を購入してみた。

GoogleSEO 検索で自分の記事がトップページに表示されるよう様々な工夫をするよう書いてあった。

ただ、記事を書く前にかなりの事前準備が必要みたいだ。

記事を書く目的を明確にし、読む層を定め、読み手がどんな記事を求めるか情報を集める。マインドマップを書いて集めた情報を整理する。

第一段階がまずそれだった。

このブログは日記的な要素を含んでいるのでSEOを意識しなければいけない理由はない。
ただ、ライターになるのであれば記事を書く前ある程度事前準備は必要であろう。

試しにマップを作成してみた。
しかし、マップの作成に凝りすぎて、一番重要な執筆をする気が起きなくなってしまったのである。

本当に、私はどうやったらたくさんアクセスされるのかを考えるのが苦手だと思う。
バチェラーデートの記事だって、正直偶然の産物でしかない。

自分のやりたいことと読み手が求めることが一致していれば一番だが、常にそういう記事は書けない。毎日毎日新しいことを始めているわけではないし、別に仕事だけをして終わる日もある。ものを買わない、特別な体験をしない日が大半だ。

加えて出不精なので、他の人よりもずっと外出することは少ない。

こんなことを考えていたら、だんだんブログを書く楽しさがわからなくなってしまったのである。足かせを嵌められて視野が狭まっていくような気がするのだ。

結局、せめてモチベーションをあげようと頻繁に更新されるブログを定期講読することに決めたのだった。

せめて頻繁に更新していれば、誰かの日課、楽しみくらいにはなれるのではないか。

もう、そんなんでいいや。結局そこに落ち着いた。

お金になるよう狙って書くのは、私が一番嫌う行為かもしれない。

いくらお金になったとしても、 読み手を惑わせたりする記事を書くのは心が痛む。

あたかも薄い内容の記事がトップページに来ている世の中に反感を覚える部分もある。

ネットの、とりわけ恋愛系の記事は個人的には質の低い記事が多いと思っている。
私が思うに、記事のなかに「大半の人は○○だから○○するべき」と書いてある記事はろくでもない。

恋愛に、普通などない。自分のした選択を、大半の人に合わせる必要はない。

ただ、自己肯定感が下がりきってしまって、わからなくなっているだけだし、日本人の集団に属していたい欲求にただ漬け込んでいるだけの記事が大嫌いだ。

「自分はこんな一面があるから、男性からはもてない」
「自分の一面をこういう風にかえたらうまくいく」

ずっとそんな風にネットの記事を見て苦しんできた。

今は彼氏がいる私の言葉は、彼氏探しをしている人たちには届かないかもしれない。
それでも、私はどうしても伝えたいのだ。

今思えば、自分の一部を変える必要など全くなかったことを。

好きな人に振り向いてもらうために自分を犠牲にするのは無意味であったことを。
傷つけてくる相手の言葉に耳を傾ける必要などなかったことを。

男性の好みは性癖の数以上にある。自分を気に入ってくれる人はこの世界に絶対にいる。探している間は信じられないだろうが、それが事実なのだ。

付き合っていて、驚くことばかりだ。

彼の女性の好みは変わっている。
というか、私の理想の女性像とは大きく違っているというのが正しい。

この前、バチェラーシーズン4を無理矢理見せてみたところ、私の好きな女性にはほぼ興味がなく、天然そうな子を見て「あ~好きだわ」と眠そうに話していた。

自分にとっての理想像が、必ずしも相手の理想像と重なるとは限らない。

私の理想像は顔がかわいくて友達が多くて胸が大きいが痩せていて自立していて恋愛に依存しない女性だ。

現状と真逆である。

でも彼氏は私の理想像通りの女性がタイプではないようだ。
確かに美人を見るとテンションが上がっていたが、私ほど顔を誉めちぎることはない。
美人よりも素直で優しそうな子を誉めていた。

あんなに自分に劣等感を抱いていたのが馬鹿みたいだ。

かくいう私も以前は野心家で夢があって筋肉があっておしゃれなお店をたくさん知っていて、いつも私を安心させてくれる言葉を言ってくれる男性がタイプだと思っていた。

上記は元カレSさんである。
ずっとSさんのような理想の男性と付き合うのに憧れていた。

でもその理想は自己分析すらままらなない私が勝手に作り上げた理想でしかなかった。

現在の彼氏は野心があるような感じではないし、Sさんほどおしゃれな店は知らない。私を安心させてくれる言葉をくれないし、最近は筋トレをさぼって腹筋も失っている。

でもそれ以上に家庭的で優しく、穏やかで一緒にいて楽である。ほどよくインドアなので疲れることもない。今思えば譲れない条件は、「目はぱっちりしている」「比較的華やか」くらいである。

しゅうたには秘密だが、実は彼は一人目の元カレIさんによく似ている。
確かに違う人間だが、上記の点のみ被っている。

散々様々な条件で男性を検索し続けた結果、巡り巡ってスタート地点に戻った気分だ。

仕事面でも、恋愛面でも理想と現実のギャップはこんなに大きい。

ただ今は、そのギャップを受け入れていく期間であるような気がする。

今は、そんなんでよいのだ。なんだか肩の荷が降りた気分だ。

転職するする詐欺をし続けて早4年になりました

働きたくない。

26歳、事務職。
一応社会人4年目になる。

なぜ現在の仕事を選んだかというと、この世に存在する仕事すべてが、やりたくない仕事だからだ。

その仕事の中から仕方なく安定していそうで、比較的休みが多い今の仕事に就いた。
シフト制なので土日も出勤で、月10時間程度残業がありますと面接の際に言われた。

社会人1年目の頃は、暇だった。仕事に慣れておらず、できることが少なかったのもある。だとしても、先輩たちは遅番の日以外残業することはなく、全員定時で退社していた。

仕事は、正直言ってしまうと面白い内容ではない。

事務所の中でパソコンを見つめ、キーボードを叩いたり時々電話に出たりする。
書類に間違いがないか確認。間違いがあれば訂正。正しい状態にしてからシステムに入力。それ以外は掛かってきた電話を取る。電話対応というとただ担当者に繋ぐだけの仕事だと思われがちだが、弊社はBtoCなので残念ながらお困りのお客様から直接クレームやらなんやらの電話がかかってくる。なので総務や経理のように静かな事務所内でゆっくり仕事をしている事務職ではない。私のいる事務所内では電話が鳴り響き、その対応をする社員の声で常にがやがやしている。毎日が戦場だ。

電話が鳴り響いているということは、お客からの電話を取りきれていないということでもある。そもそも書類仕事とコールセンター業を掛け持ちしているのがおかしい。

書類仕事は会社の売り上げに関する内容なので、間違えれば売り上げの数字がおかしくなる。本来は電話に出ながら騒がしい事務所内でする仕事内容ではない。

しかし経営陣はそんなことはお構い無しのようだ。今日の働き方改革とは真逆の、「残業をしてでも良いから自分の仕事をしながら電話対応しろ」と言われる毎日である。

言われた通りにする社員は一人もいない、
基本給が勤続年数により上がるからだ。したがって今頑張って残業しても基本給が上がるわけではない。わずかながらボーナスがあがるだけだろう。

給与にはずっと不満を感じている。
月7時間程度残業をつけて、やっと手取りが20万。

しかも一段階昇給してやっとこの金額だ。
去年はもっと安かった。

それでも1年目、2年目のときは有休消化ができていたからよかった。
でもとれていた有休は、昨年度からとれなくなった。

全く取れないわけではないが、とても取りづらくなってしまった。

大規模な人事異動で親会社に人員が流れていった。グループ会社なので親会社の要請には逆らえない。私の部署からも正社員3名と、嘱託社員1名が異動になった。加えて定年退職のため抜ける社員もいた。しかしうちの会社の経営者たちは会社の売り上げしか見ていないので、「事務職は金にならない」という考え方だ。したがって増員されるどころか減員され、有休がとれない今日に至る。

抜けた穴を埋める毎日に、少し疲れてしまっている。

電話はいまだに受話器でとっているし、ヘッドフォンが導入される気配はない。回線数は電話受付担当者の数を上回ったまま。端末だって一画面しか開けない。ペーパーレスは進まず、テレワークにもならない。

短い時間で多く仕事を終わらせても、処理した件数を管理する仕組みもないので、評価に関わることはない。
加えて、私は年齢が1番低い。うちの会社は年配者を過剰にもてはやす。
新入社員は入ってこない。一度入ってきたことがあったが、すぐ辞めてしまった。

ずっと1番若いので、嫌な役回りがついて回り続ける。評価されない仕事は、私のような若者に回ってくるのだ。他の人にお願いしてやっと嫌な仕事がなくなったかと思うと、また降ってくるのだ。

人事異動ある度に人が抜け、抜けた分の仕事が私に回ってくる。人が増えていないのでそれまで持っていた仕事は減らない。自分が異動する訳でもないのにそれまで持っていた仕事を全部他の人にお願いし、新しい仕事を覚えることもあった。それでは飽きたらずまだ仕事は増え続ける。そんななかでも仕事を覚えたら他の人に引きつぎ、仕事を減らしたりしてやり過ごしていた。

また新しい仕事が回ってくる。ついには事務処理、電話対応に飽きたらず時間外が多い人の分の仕事と、体調が悪い人の分の仕事、事務所の下にある店口の対応のフォローまで回ってきた。これで時間外が増えないなんて、奇跡である。

給料が増えた分大変になるのは仕方ないのかもしれない。だとしても、異動した人の仕事をもらっているのだ、十分大変になっている。有休も取りきれない。
こんなに人が減る前は同じ給料でこんなに働く人なんていなかっただろう。

なぜ毎日経営層が解決すべき人員不足を私が必死に解決しているのか、本当にわからない。人が減った分以前より収益が上がっているはずだが、その分数十万というわずかな金額で私の手元に戻ってきただけだった。

4人以上減った分働いていると思うと損した気分である。

どうしてここで働いているの。もったいないよ。
そう言われたことがある。

その質問の答えから、私は逃げ続けている。

働いていれば環境は変わる。安定し、楽な環境が、永遠に続く保証はない。それはどこで働いても同じだろう。どちらかと言うと、「もったいない」という言葉の方が辛い。

意欲のないうちの会社の中では比較的仕事ができるほうだった。
新しい仕事を覚えるのが比較的早いからこそ、今重宝されている。
でも、私ができるということは、他の若い子でもできるということだ。
単調で数年で誰もができるようになってしまう今の仕事を続けて本当に良いのだろうか。

もっと将来的に収入が増える見込みのある仕事に就いたほうが良いのではないか。
これだけ今まで辛抱強く続けてこれたのだから、新しい環境で手に職をつけられるような仕事に転職しても頑張っていけるのではないか。

社会全体で見れば大卒の割りに年収が低く何の取り柄もない。
おちこぼれの部類なのに、こんなことを思ってしまう自分が恥ずかしい。

 

まあ、一応メリットもあるとは思う。
有休は取れないが残業はなく、在籍さえしていればわずかだが基本給が上がる。
一応65歳まで働けるし、年金の心配は嘱託で働けない企業よりはしなくて良いのかもしれない。転勤は都内だけだし、物欲がないので貯金はわずかながらできると思ってしまう。

いつも上記のことを思いだし、結局面倒になって転職活動はしないのだ。

これでは、いつまで経っても問題は解決しない。

ずっと、堂々巡りを続けているのである。

携帯依存症歴10年の私が、なぜSNS離れを決意したのか

何かを得れば 何かを失う。

BTSのドキュメンタリーのなかで、SUGAが話していたことを思い出す。

https://video.dmkt-sp.jp/ti/10050843/?referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2F


画面のなかに写る彼はアイドルとして輝かしい日々を送ることになった代わりに、普通の平凡な日常を失ったと語っていた。

今日はみんなが愛して止まないスマホの話をしよう。

SUGAの言葉を借りるのならば、携帯をいじっている時間、他のことができた自分の時間を失っていることになる。今何時か確認しようと携帯を開く瞬間、電車内でLINEが来ているか確認する瞬間、仕事のお昼休憩に何か面白いことがないか見てみようとTwitterを開く瞬間、帰宅してくたくたになり判断力が落ちているのを良いことに寝ながら面白い動画を探すあの瞬間。

少し間がさしたあの瞬間に、「やりたいこと」をする時間を失っているのだ。

私がスマホを手に入れたのは高校3年生の頃だ。
小さい頃から誘惑に弱い性格で、食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求に打ち勝てたことはない。加えて「我慢できないなら仕方ない」となぜか割り切っており、自分を律する気すらない人間である。
目に入ればお菓子をぼりぼり食べまくって母に叱られ、オナニーに目覚めてから今日まで性的欲求を抑えられたことなどない。最初の彼氏も、現在の彼氏も私の性欲の強さには目を丸くしていたくらいだ。大学時代は通っていた教習所をさぼって狂ったように眠り、また母に叱られていた。

そんな私がスマホに溺れないはずがない。
もともと携帯を持っており、既に依存症気味であったのにスマホで一気に加速してしまったのだ。おかげで私の青春はスマホをいじって終わってしまった。
それからその日まで、スマホ漬けの毎日を送っていた。

しかし先日携帯を家に忘れた。
忘れた日はとても快適で、本当にやりたかったことをすることができた。
それを機に、可能な限りデジタルデトックス、主にSNS離れをしようと決意したのである。

スマホを忘れるなんて初めてだった。
朝布団から出られなかった私は時間ギリギリに起きて支度をした。

朝電車に乗る前に家に携帯をおいてきたことに気がついたが、もう引き返す時間などない。諦めるほかなかった。

運よく鞄の中に読みかけの小説が入っていたので読むことにした。
携帯を常にもって移動しているときよりも、心なしか読書が捗っているような気がした。

帰り、かけるはずだったリマインダーをかけることができなかったが、奇跡的に用事を思い出した。
帰りの電車でも本をいつもより集中して読めた。


家に帰ってきてやっとスマホを見た。特に急ぎの連絡は来ていなかった。
さらに、その日必要に刈られてスマホを確認することが全くなかったことに気がついた。常日頃あんなにチラチラ見ているのに、いざなくなってもなにも問題なかっただなんて、驚いてしまう。

せっかくの機会だから、SNS離れをするのも良いかもしれない。

そう思ってしまうくらい、今日のわたしの脳内はクリアだった。
小説を読み、今もこうしてずっとしたかったブログを書いている。

さらに買い物してトマトカレーを作り、ゆっくりつまみ食いまでできた。

なんて充実した一日だったのだろう。

ただ、昼休憩のタイマー機能だけは使えないと困ってしまう。
実はタイマーがなかったので昼寝中寝過ごしてしまい、一時間5分休憩してしまった。まあ、神様がたまには休めと思ってくれたのだろう程度に思っておこう。

今後会社のロッカーに携帯を封印し、昼寝のときタイマーを掛ける際だけ取り出そうと思う。


スマホ、主にSNSから離れると、自然と読みたかった本、見たかったドラマ、書きかけのブログに手が伸びた。

そしてSNS離れをして数日経つ現在、携帯を見たくてうずうずしている自分に気がついた。現在はカフェでSNSの入っていないタブレットでブログを書いている。スマホはきちんと家においてきた。それでもTwitteryoutubeが見たくてうずうずしている。

今まで気づかなかったが、私はスマホ依存症だったのだ。
気づかなかったのは、この10年間、スマホとの距離が近すぎたからだ。
近すぎて、自分がおかしくなっていることに全く気がつかなかった。

確か時間術の本にスマホアプリを減らしたり、通知を少なくするだけでも時間が産み出せると書いてあった。

どうせ最近見る動画はエッチのときに盛り上がるフレーズや仕草、後は佐伯ポインティの猥談ばかりだ。我ながらあまりのくだらなさに呆れてしまう。
TwitterもLINEも1分1秒を争うような急ぎの連絡など来ないだろう。

スマホ時間を減らしても大きな打撃は無さそうだ。